選評の概要
45.46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68. 69. 70.
71. 72. 73. 74. 75.
76. 77. 78. 79. 80.
81. 82. 83. 84. 85.
86.
生没年月日【注】 | 明治36年/1903年11月6日~昭和59年/1984年7月30日 | |
在任期間 | 第45回~第86回(通算21年・42回) | |
在任年齢 | 57歳7ヶ月~78歳1ヶ月 | |
経歴 | 北海道生まれ。東京帝大文学部仏文科卒、法学部中退。 | |
受賞歴・候補歴 | ||
処女作 | 「勝負」(『文芸』昭和13年/1938年10月号) 「秋の歌」(『文學界』昭和13年/1938年10月号) |
|
直木賞候補歴 | 第21回候補 「山中放浪」(『雄鷄通信』昭和23年/1948年11月号~昭和24年/1949年5月号) 第22回候補 『山中放浪――私は比島戦線の浮浪人だった』(昭和24年/1949年11月・日比谷出版社刊) 第23回受賞 「天皇の帽子」(『オール讀物』昭和25年/1950年4月号) |
|
備考 | ホームページをご覧の方より情報をご提供いただき、 「天皇の帽子」収録の角川文庫の刊行年月(昭和26年/1951年)を修正しました。 貴重な情報ありがとうございます。 (2007.6.16記) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 今日出海 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
富士正晴 | 51歳 |
◎ | 8 | 「この作者はどういう人か知らないが、既に文学者だと思ったし、「童貞」はなかなかいい作品だと推したが、首肯する人が少なかった。」 |
39歳 |
□ | 20 | 「鎌倉時代を知る作家には、折角の知識も、それほど高く評価されなかったが、少なくともその知識を気楽に扱えるだけ、消化し、自分のものにしていることは事実である。」「作者の格調の低くないのを評価したいし、充分賞に値する出来栄えであることも否定しない。」 | |
37歳 |
□ | 18 | 「面白く読ませる筆力を持っていることは事実だ。とはいえ直木賞はそれでいいのだとは思わない。もっと筆力を制御する何かが加わって然るべきだとも思う。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年4月号 |
選考委員 今日出海 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
五木寛之 | 33歳 |
○ | 8 | 「面白く読んだ。」「題材は特異だし、筆は柔軟である。この人も可能性を多分に持った人らしいが、重宝な人になってもらいたくない。」 |
北川荘平 | 35歳 |
○ | 9 | 「面白く読んだ。」「器用な作家ではない。一途になりすぎて立体感に乏しいが、社会的な素材に正面から取り組む力を持った作家だ。」 |
40歳 |
□ | 26 | 「決ってみれば格別異論もない。」「しかし「白い罌粟」が今年の他の予選通過作品を圧して第一等の作品とは思えない。また氏の作品の中でもっとも優れた作品とも云えぬだろう。」 | |
「私は病床にあって選考委員会に出席出来なかった」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和41年/1966年10月号 |
選考委員 今日出海 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
原田八束 | 46歳 |
○ | 14 | 「「風塵」に興味を持った。」「原田氏は宦官の宿命的ともいえる性格をよく描いている。が、それだけにやや観念的にその性格をつくった嫌いもないではない。次作を期待する作家である。」 |
37歳 |
△ | 16 | 「何も野坂、三好両氏の名前に授賞したのではなく、やはり作品の出来栄えを主体に銓考したのだから、新人は新人らしい精進を期待するのみである。」 | |
37歳 |
△ | 16 | 「何も野坂、三好両氏の名前に授賞したのではなく、やはり作品の出来栄えを主体に銓考したのだから、新人は新人らしい精進を期待するのみである。」 | |
「入選しない作品の中でも、捨て難い思いをいまだに残しているものもある。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年4月号 |
選考委員 今日出海 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
47歳 |
◎ | 9 | 「作品の質量ともにいかにも受賞作品の貫禄を備えて、堂々としていた。」 | |
桂英澄 | 54歳 |
○ | 13 | 「落着いたいい作品だった。小説的な起伏に稍々乏しいが、それだけに作者の仮構もなく、淡々と語って、主人公の老境への静けさが滲み出てもいた。」 |
37歳 |
△ | 18 | 「井上氏は作品の重量などにはおよそ関心を払っていない作家らしい。それよりもむしろ軽さの中にエスプリの浸透を考えている側の人のようだ。」「軽妙な戯曲を既にいくらも発表し、定評のあることを知らされた。」「恐らく近く作者は直木賞作家として活躍を期待される人の一人になることだろう。」 | |
「他の候補作品は「斬」に比べて見劣りするかというと必ずしもそうとは云えぬので、その中からもう一篇採るかというと甲論乙駁になった。それほどどれも接近して、なかなかの佳作ぞろいだった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年10月号 |
選考委員 今日出海 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
植草圭之助 | 63歳 |
○ | 42 | 「題材も変っているし、全篇を貫く作者の純情は特筆すべきものがある。」「私は「冬の花」が単純であることも、近代文学の傾向から見れば古風であることも認めぬではないが、それを補う素朴な人間感情の純粋さや美しさに打たれたことは事実である。」「私は今どき珍しいものを見るように評価したが、この小説が現代の稀少価値観にも触れなかったことを惜しく思う。」 |
「今回の候補作品は平均化されていたともいえるし、特別目を引く作品がなかったともいえる。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和49年/1974年4月号 |
選考委員 今日出海 71歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
難波利三 | 38歳 |
○ | 9 | 「選に漏れたのは、どこかに類型的なものと、語り口に生硬さがあったからだろうが、私には好ましい個性的なもののあることは認めずにはいられない。」 |
栗山良八郎 | (46歳) |
○ | 8 | 「選に漏れたのは、どこかに類型的なものと、語り口に生硬さがあったからだろうが、私には好ましい個性的なもののあることは認めずにはいられない。」 |
43歳 |
□ | 8 | 「将来に楽しみが持てる作家と云えるかも知れない。しかし真摯な態度は認めても、実際にどの程度の発展の可能性を持っているか、予断は許されない。」 | |
41歳 |
△ | 21 | 「なかなかの才筆で、週刊誌や娯楽雑誌から降るように注文が来ても、破綻なく書きこなす腕を持った才人と云えるだろう。」「直ぐ使える作家、今のジャーナリズムに打ってつけの作品を短時日にこなす作家は便利には違いないが、少し時代の嗜好が変れば、また作家が少し疲れてくると不要な作家になってしまう危険も少くない。」 | |
「どれも佳作ぞろいというか、優劣がつけにくかった。どれを採っても入賞作として恥ずかしくはない。」「逆に見れば、それほど図抜けた作品がなかったという風にも受けとれる。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和50年/1975年4月号 |