選評の概要
45.46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68. 69. 70.
71. 72. 73. 74. 75.
76. 77. 78. 79. 80.
81. 82.
このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「受賞作家の群像 松本清張」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治42年/1909年12月21日~平成4年/1992年8月4日 | |
在任期間 | 第45回~第82回(通算19年・38回) | |
在任年齢 | 51歳6ヶ月~70歳0ヶ月 | |
経歴 | 本名=松本清張(マツモト・キヨハル)。広島県生まれ、福岡県小倉市(現・北九州市)出身。小倉市立板櫃尋常小学校高等科卒。川北電気の給仕、石版印刷見習職人を経て、朝日新聞九州支社で広告版下を書く。のち入社、広告部に配属。芥川賞受賞後、東京本社に転勤し、昭和31年/1956年退社。 | |
受賞歴・候補歴 |
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処女作 | 「西郷札」(『週刊朝日』昭和26年/1951年春季増刊号[3月]) | |
個人全集 | 『松本清張全集』全3期・66巻(昭和53年/1978年4月~平成8年/1996年3月・文藝春秋刊) 『松本清張短編全集』(昭和52年/1977年5月~昭和53年/1978年4月・光文社/カッパ・ノベルス) 『松本清張小説セレクション』全36巻(平成6年/1994年11月~第36巻=平成8年/1996年4月・中央公論社刊) |
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直木賞候補歴 | 第25回候補 「西郷札」(『週刊朝日』昭和26年/1951年春季増刊号[3月15日]) 第28回候補 「或る「小倉日記」伝」(『三田文學』昭和27年/1952年9月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 松本清張 51歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
42歳 |
◎ | 33 | 「八篇の候補作のうち、水上勉氏の「雁の寺」が抜群で、ほとんど全員一致をみた。」「山中の禅寺の暗い雰囲気と、人間関係の陰湿なからみ合いとがよく溶け合っている。」「もとより、些少の瑕を指摘するのは容易だが、重量感がそれを圧している。ただ、小僧が和尚を殺す経過の裏の段になると、それまでの迫力が一挙に落ちてくるのは、いわゆる推理小説の持つ宿命的な欠陥であろう。」 | |
杜山悠 | 44歳 |
◎ | 21 | 「感心した。小藩の末端出先機関の小役人が生き生きと描かれている。」「農民の描写が類型的な暗さに終ったのは惜しい。」「派手な過剰描写の多い時代小説の中では、こういう作品がかえって稀少価値を持つようになった。」「(引用者注:「雁の寺」の他に)もう一作を新人から採る意味で、私は杜山氏を推した。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和36年/1961年10月号 |
選考委員 松本清張 53歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 13 | 「氏の文体の清新さと着想の独得さを評価したい。」「ただこの作品は、小説とは呼べないところに難点があるが、この資性は相当な構成力を持っていると思う。」 | |
笹沢左保 | 32歳 |
◎ | 17 | 「氏の作品の中で最優秀とは云えないが、最近の氏の活動は職業作家として将来性ある才能を感じさせるに十分である。」「いうまでもなく笹沢氏はすでに流行作家だが、だからといって、受賞対象から外す理由はないように思う。」 |
37歳 |
△ | 15 | 「よく調べてある歴史小説だが、新人としてもう少し文体の清新さを期待したかった。」「重量的な長篇作家として特色を出すのも結構だが、短篇にもまた巧みなところを見せて欲しい。」 | |
「所用で旅行したため、書面回答になった」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和38年/1963年4月号 |
選考委員 松本清張 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
古川薫 | 40歳 |
◎ | 19 | 「私は最初に古川薫氏の「走狗」を推したが、九対一でまっ先に討死した。」「文体緊密にして、極力描写の筆を惜しんだ作だ。私は今回の候補作家の中で、最も将来伸びうる人ではないかと考える。」 |
49歳 |
■ | 23 | 「私は残念ながらあまり高く買えなかった。」「暗さを感じさせない明るい作品ではあるが、筋も筆もいささか甘いように思う。作者は、かなり通俗的な感傷のところで溺れているような気がする。」「フィクションの中に現実性を感じさせなければならないのに、これはそれがない。」 | |
「今回は低調であった。いいものがあまりなかった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年10月号 |
選考委員 松本清張 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
野坂昭如 | 36歳 |
◎ | 13 | 「この作家は自分の文体を持ち、それを武器に、とにかく現代の一面を描いている。他人にないそのユニーク性を私は買う。」「よけいなことだが、テレビなどの雑業を整理し、新フォームの小説開拓に専念されることを望みたい。」 |
平井信作 | 54歳 |
○ | 12 | 「はじめのうち、これも私は支持したのだが、もちろん授賞作にあたるものではない。これは作者の経験である。(引用者中略)将来、この作者がフィクションとしてこの程度のものを書かなければ作家としての素質に信が措けない。」 |
34歳 |
□ | 17 | 「この作のテーマになった事件の裏側は私も知らないではないので、多少の不満(たとえば組織が描かれてない)もあるが、上質なハードボイルドで、読んで文句なしに面白い。直木賞も運不運があって、有力な対抗馬がないときはどうしてもトクをする。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和42年/1967年10月号 |
選考委員 松本清張 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
44歳 |
◎ | 14 | 「受賞作は陳氏のものとしてはとくにすぐれたものではない。」「題材からいっても氏の薬籠中のものだから氏としては平均作の上質の部類だろう。ということは受賞以後の活躍が間違いないことである。」 | |
浅田晃彦 | 53歳 |
○ | 10 | 「私には面白かった。」「もしこの「算術」が多少の典拠を手がかりとしての創作だったら珍重すべき才能である。白井喬二氏の初期の作品をよむような興味をおぼえた。」 |
43歳 |
△ | 15 | 「感じるのは氏が努力型だということである。一作ごとの精進のあとにそれが現われている。」「受賞作の題材は有名な事件だけに、構成上に難点がある。文章もうまいとはいえない。その意味で私はあともう一作を待ちたかったが、多数決にしたがった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和44年/1969年4月号 |
選考委員 松本清張 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
武田八洲満 | 43歳 |
◎ | 30 | 「推すなら武田八洲満氏の「紀伊国屋文左衛門」だと思った。ともかくこれには構成がある。史実も自分のものにしている。」「(引用者注:荻原重秀を)歩の悪い仕事を上から押しつけられる能吏として捉えていることに感心した。」「構想力のある新人と思う。」 |
50歳 |
■ | 8 | 「わたくしは消極的だった。文章もうまく、話にも好感がもてるが、直木賞には私小説的なもの(この作品が私小説というのではない)よりも、やはり大きな構成のあるものを望みたい。」 | |
「今期は強い作品がなかった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和46年/1971年4月号 |