このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「候補作家の群像 柴田錬三郎」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 大正6年/1917年3月26日~昭和53年/1978年6月30日 | |
在任期間 | 第55回~第78回(通算12年・24回) | |
在任年齢 | 49歳3ヶ月~60歳9ヶ月 | |
経歴 | 本名=斎藤錬三郎。岡山県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。 | |
受賞歴・候補歴 | ||
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個人全集 | 『柴田錬三郎時代小説全集』全26巻(新潮社刊) 『柴田錬三郎自選時代小説全集』全30巻(集英社刊) 『柴田錬三郎選集』全18巻(集英社刊) |
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直木賞候補歴 | 第25回候補 「デスマスク」(『三田文學』昭和26年/1951年6月号) 第26回受賞 「イエスの裔」(『三田文學』昭和26年/1951年12月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 柴田錬三郎 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
五木寛之 | 33歳 |
◎ | 15 | 「これは、今期候補作品中、最もフレッシュな、いわゆるパンチのきいた現代小説である。私は、文壇がこれまで持たなかった新しいタイプの作家を出現させることになる、と確信をもった。」 |
40歳 |
□ | 9 | 「こういう将来性のある作家が、当選するのに、私は文句はない。但し、「白い罌粟」の高利貸対手のやりかたには、疑問があり、そのために、私は、当選作たることに首をかしげた。」 | |
「今回より、選考委員になってみて、感じたことは、いかに、委員会が公平無私であるかということであった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和41年/1966年10月号 |
選考委員 柴田錬三郎 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
◎ | 30 | 「直木賞というものは、やはり、文壇に新しい風を送り込んで来る新人を登場させるのが目的である、と思う。その意味では、五木寛之は、最も、直木賞にふさわしい新人である。このような新人は、幾年に一人も現われるものではない。」 | |
三好徹 | 36歳 |
○ | 11 | 「ストーリイのはこびかたは、堂に入ったものであり、読みはじめたら止められない面白さがある。」「ただ、フレッシュという点で、五木寛之に、一歩をゆずらなければならなかった。」 |
早乙女貢 | 41歳 |
○ | 11 | 「よく調べた材料をみごとにこなしているし、結末も鮮やかである。」「ただ、フレッシュという点で、五木寛之に、一歩をゆずらなければならなかった。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和42年/1967年4月号 |
選考委員 柴田錬三郎 51歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
筒井康隆 | 33歳 |
○ | 4 | 「私は、「アフリカの爆弾」も買う。しかし、直木賞の品格からは、はずれていることも、みとめざるを得ない。」 |
原田八束 | 47歳 |
○ | 25 | 「文章もすぐれて居り、構成も見事であった。」「ただ、この作者は、これまで、中国古代にしか題材をもとめぬ頑固さがあり、作家の力倆を、それだけで眺めることに、どうしても不安が起らざるを得ないのである。」「もし、現代に材料をもとめて、一篇の佳作をものしてみせたならば、委員会は、躊躇することなく、賞を贈るに相違ない。」 |
「今回の候補作品が、いずれも駄目だった、というのではない。それぞれが、巧妙な出来ばえであったことは、みとめられるのである。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年10月号 |
選考委員 柴田錬三郎 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
加藤善也 | 57歳 |
○ | 5 | 「かなり高く評価する。これには、一人の東京の下町女がよく描かれている。」 |
桂英澄 | 54歳 |
○ | 9 | 「充分に、直木賞にあたいする力作である。」「幕末から明治にかけての変革期を生き抜いた一人の人物を、これだけ必死に描いた力作は、そうざらに見当るものではない。」 |
47歳 |
□ | 11 | 「べつに、私には異論はなかった。」「全力投球の力作」「欠点はある。(引用者中略)肝心の悪女素伝のおそろしさが、全く描けていない」 | |
37歳 |
□ | 14 | 「べつに、私には異論はなかった。」「才華のほどを充分に発揮していた。」「欠点はある。(引用者中略)江戸爛熟期の風俗の調べがゆきとどかず、挿入の小唄が大正製であったりする不備があった。」 | |
「今回は、力作ぞろいであったことを、みとめる。」「私は、べつに、直木賞が、一期二人までの当選に限定する必要はなく、時としては、三人同時に出現してもいい、という気持がある。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年10月号 |
選考委員 柴田錬三郎 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
田中光二 | 34歳 |
◎ | 14 | 「リアリティがない、という批判があったが、この作品は、はじめから、嘘っぱちなのである。嘘の面白さを、私は、受賞作よりも、高く買った。」「このSF作家は、将来、リアリティ(原文傍点)のある作品も書ける才能をそなえている、と私は期待する。亡父の才能より秀れているような気もしている。」 |
38歳 |
● | 38 | 「私は、(引用者中略)買わない。」「ノンフィクション・ノベル、という奇妙なジャンルがあるらしいが、私には、そんなジャンルをみとめることのばかばかしさが、先立つ。」「丹念に、犯行のありさまと逃亡経過を、辿ったところで、それは、小説のリアリティとはならない。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和51年/1976年4月号 |
選考委員 柴田錬三郎 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
岩川隆 | 43歳 |
○ | 6 | 「前回の当選作「復讐するは我にあり」よりも、はるかに秀れていた。不運といわざるを得ない。」 |
「今回、該当作がなかったのは、かならずしも、候補作品のレベルがひくかったからだ、とは思わない。」「すくなくとも、今回の芥川賞の「限りなく透明に近いブルー」という、題名そのものさえ日本語になっていない、公衆便所の落書を清書(原文傍点)したような作品よりも、前述の候補作品(引用者注:「神を信ぜず」「サバンナ」「咆哮は消えた」「山桜」)の方が、質の上でも、上にある、と考えられる。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和51年/1976年9月号 |
選考委員 柴田錬三郎 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
三浦浩 | 46歳 |
◎ | 11 | 「このスリラー小説には、現代の息吹きがある。ロンドン・パリ・京都を舞台にして、その視点を、今日の地球上の情勢の無気味な陰の世界へ置いている。」「リアリティがない、という批判もあったが、はじめから作りものに、リアリティがあるはずがない。」 |
45歳 |
■ | 20 | 「出来ばえを、否定はしない。しかし、この作品は、“きだ・みのる”という奇人が実在したからこそ、つくられたのであり、一応まとまっている、というだけで、私には、一片の感動さえなかった。」 | |
「私は、直木賞は、「花も実もある絵そらごと」の面白さを、いかに巧妙に、現代の視点で書いたか――そういう小説に、与えるべきだ、と考える。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和52年/1977年4月号 |