第173回

第172回第174回

令和7年/2025年上半期 令和7年/2025年7月16日決定発表／『オール讀物』令和7年/2025年9・10月合併号選評掲載

選考委員　 京極夏彦 62歳 三浦しをん 48歳 角田光代 58歳 米澤穂信 47歳 林真理子 71歳 辻村深月 45歳 浅田次郎 73歳 宮部みゆき 64歳 桐野夏生 73歳 選評総行数　 185 196 209 144 142 269 142 225 157 評 評 評 評 評 評 評 評 評 候補作 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 評価 行数 逢坂冬馬　『ブレイクショットの軌跡』 1065枚 39歳 評 △ 24 □ 50 ■ 32 △ 27 ■ 29 ◎ 73 ■ 24 ◎ 42 △ 20 青柳碧人　『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 762枚 44歳 評 ■ 24 ■ 23 △ 26 △ 19 ● 18 ◎ 44 ■ 17 □ 51 △ 24 芦沢央　『噓と隣人』 397枚 41歳 評 ○ 24 ● 11 ■ 17 △ 14 △ 14 △ 28 ● 16 △ 26 △ 15 塩田武士　『踊りつかれて』 859枚 46歳 評 ■ 24 ■ 35 ○ 47 ■ 27 ● 29 ■ 31 △ 31 ■ 47 △ 23 夏木志朋　『Ｎの逸脱』 439枚 36歳 評 △ 24 ◎ 36 ■ 34 ◎ 27 ○ 28 △ 43 ■ 12 △ 22 △ 18 柚月裕子　『逃亡者は北へ向かう』 727枚 57歳 評 ○ 22 ◎ 41 ■ 34 ■ 20 ● 20 △ 39 ■ 20 ◎ 41 △ 18                   年齢/枚数の説明   見方・注意点

京極夏彦62歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数185　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 △ 24 「『ブレイクショットの軌跡』の持つ構造美には敬服する。」「予測不能の動きを見せるボール同士が打ち当たることで綺麗に収束して行く様こそが狙いなのだと考える。ただそうした様式が万人に理解されるとは限らない。特にＬＧＢＴＱ＋の扱いに関しては、違和感を抱く読者も多かったかもしれない。」 青柳碧人 44歳 全 ■ 24 「フィールドの異なる接点の見出し難い著名人二人を重ねることで物語を紡ぎ出すという試みが、そもそも痛快である。」「二人の人格／人生を形成するのに欠かせないだろう双方の葛藤や暗部を多くスキップしてしまう構成は、一部の読者にとって容認出来ないものとなるのではないか。作品の趣旨からは外れてしまうパーツであっても、そこは掬い上げ適宜処理すべきだったのではなかろうか。」 芦沢央 41歳 全 ○ 24 「短編ミステリとしての達成度は高いだろう。」「作中人物の行動原理が現実的か否かという点が議論の俎上に乗るということは、小説としての完成度が高いことの証左でもあるのだろう。連作短編集としては未完だが、読者に続きを希求させる魅力は高く評価すべきだろう。」 塩田武士 46歳 全 ■ 24 「綿密な取材と調査に基づく（と思われる）数々のトピックは巧みな筆致と相俟って抜群に面白い。ただ劈頭の過激なテンションは持続することなく、エピソードも次々スライドして行くため、提示された主題は中盤でフェードアウトしてしまう。」「発端であり動機ともなる二つの事象は、同根ではあるものの質は全く異っている。それを単純に接続したため構造に無理が生じたのだろう。」 夏木志朋 36歳 全 △ 24 「収録されている三作のバランスは必ずしも良いとはいえない。短編二編は同じ主題の変奏だが三話目となる中編で趣向に変化が見て取れる。これはブレではなく試行錯誤と見るべきだろう。表題のＮを何と取るかで読み味が変わるところも見逃せない。」 柚月裕子 57歳 全 ○ 22 「東日本大震災をダイレクトに扱った希有なエンタテインメントとして位置づけられるだろう。」「視点人物の行動に一部不可解さがある、ラストの処理が説得力に欠けるなど疑問点も多々あるが、それを差し引いても高い熱量を持つ傑作ではあるだろう。」   「小説の評価軸は複数ある。ジャンル別に量るなら各々の基準はある程度明確なものとなるが、大衆小説と規定した場合は難しくなる。」「読み解き、分析し、今の時代の大衆小説の達成度を示すべきなのだろう。今回それを示すことは叶わなかった。選考委員としての力不足を痛感する。」

他の選考委員 三浦しをん 角田光代 米澤穂信 林真理子 辻村深月 浅田次郎 宮部みゆき 桐野夏生

三浦しをん48歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数196　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 □ 50 「一番には推さなかった理由はエピローグだ。」「それまでに張った伏線の回収に重きが置かれ、登場人物が作品を構築するための「駒」っぽくなってしまっていると思える。」「現実に生きる社会的弱者は、あたりまえだが、小説を構築するためのネタではない。エピローグに至って、登場人物が駒のように受け取れてしまうのは、現実の社会的弱者すらも小説のための駒にしているのでは、と受け取れる隙でもあると思えてならなかった。」 青柳碧人 44歳 全 ■ 23 「当初、「この二人、知りあいだったの!?」と思ってしまったほど説得力があった。」「ただ、だんだん有名人顔見世興行みたいになっていき、そこが楽しくもあるのだが、若干のあらすじ感は否めず、惜しいと思った。個人的には、隆子の兄や、乱歩の兄弟もいい味を出していると感じたので、かれらがどうなったのかも知りたかった。」 芦沢央 41歳 全 ● 11 「人間模様や設定は多彩なのだが、どの話も回想と会話で状況が説明（原文傍点）される感があり、一冊を通すとやや平板な印象を受けた。」 塩田武士 46歳 全 ■ 35 「不世出の歌手・美月になにがあったのかという、瀬尾の音楽プロデューサーとしての来し方のほうのストーリーラインは、とてもおもしろく拝読した。ただ、ＳＮＳ問題のほうのストーリーラインは、作者の主張がやや前面に出すぎではという気がした。」「また、シーンやエピソードの繰り返しが多すぎるのも気になる。」「とはいえ、全体的に真面目で真剣なトーンのなかにも、弁護士事務所の面々のやりとりなど、ユーモアもこめられていて、好感を抱いた。」 夏木志朋 36歳 全 ◎ 36 「（引用者注：「逃亡者は北へ向かう」と共に）推した。」「根底には、「人間ってなんなんだろうなあ」と思わせる余白、余韻を湛えており、非常に読みごたえがある。たとえば智子があとをつけた女性は、耳が不自由なひとだったのではないか（描写に、そう思わせる余地がある）。だとすると、智子の立場やしたことがひっくり返り、またべつの意味と暴力性を伴って新たな側面が浮かびあがってくる。多重な読みをうながす奥深さを持った小説だ。」 柚月裕子 57歳 全 ◎ 41 「（引用者注：「Ｎの逸脱」と共に）推した。」「運命と人間の意志との相克を描いた小説だと思った。東日本大震災のさなかで連続殺人が起きたら、という話だが、決して設定過積載ではなく、作者の覚悟が感じられた。」「残酷さと希望が相半ばするこの展開を通し、作者が投げかける「ひとは死ぬ。だけど……」という問いかけは、私の胸を強く打った。」   「今回は特に票が割れた。全作について議論を重ね、焦点は『ブレイクショットの軌跡』と『Ｎの逸脱』の二作に絞りこまれていったが、最終投票の結果、受賞作なしとする意見のかたが大半を占めた。」

他の選考委員 京極夏彦 角田光代 米澤穂信 林真理子 辻村深月 浅田次郎 宮部みゆき 桐野夏生

角田光代58歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数209　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 ■ 32 「ストーリー作りが本当にみごとである。虚実ない交ぜになった現代社会も絶妙に描かれ、かつ、アフリカの少年兵士たちもリアリティを持って描かれている。」「登場人物のほぼすべてが、そのストーリーのために存在しているように思えてしまう。」「マジョリティが悪でマイノリティが善、富裕層が悪でそれ以外が善、虚が悪で実が善、という単純な図式を、この小説にあてはめることも可能になってしまい、これほどゆたかに膨らんだ小説に平板な印象を与えてしまっているようにも思う。」 青柳碧人 44歳 全 △ 26 「私は非常におもしろく読み、実際に乱歩と千畝にこのような親交があったのかと半ば信じてしまうほどだった。」「書けないと悩みながら作品を生み出したことで、乱歩もまた千畝と同様に、じつに多くの人を救ったのだという小説の主張には感動したのだが、こんなにもおもしろく読んだのは、もしかして私がミステリー小説に疎く、江戸川乱歩、横溝正史といった作家たちをよく知らないからかもしれないと、選考会で思ってしまった。」 芦沢央 41歳 全 ■ 17 「日常に潜むちょっとした謎を描くのは、この作者の面目躍如だと思うのだが、この小説に登場する謎は、人の心の複雑さを超えて、あまりにも入り組みすぎていて、説得力を欠いているようにも思う。」 塩田武士 46歳 全 ○ 47 「現代では天童ショージという芸人、音楽業界では奥田美月という天才的な歌手が登場することで、小説が二つに分かれてしまう。この二つの中心にいるのが瀬尾政夫という元音楽プロデューサーで、この小説は大義ではなく、彼個人の私怨にょる復讐譚だととらえると、深く納得できる。候補作のなかでもっとも登場人物が生き生きと描かれていて、人間の持つ強さと弱さについても考えさせられ、私は高く評価したのだが、この小説の持つ「大義っぽさ」が、小説の邪魔をしてしまったようにも思う。」 夏木志朋 36歳 全 ■ 34 「「場違いな客」「スタンドプレイ」には私はあまりびっくりさせられることなく、淡々と読んでしまったが、「占い師Ｂ」の、善悪を超越した坂東のありようを新鮮に感じた。」「この三つの物語を常緑町という町でひとくくりにし、連作ふうにしてしまったことでバランスの悪さがかえって魅力をそいでしまったように思う。」 柚月裕子 57歳 全 ■ 34 「作者が、東日本大震災を、たんなる題材でも背景でもなく、しっかりととらえて書き記そうとした、その意志と覚悟が伝わってくる力作だと思った。」「しかしながら小説の中心にいる亮という人間を、私はどうしてもつかみかねてしまい、「運の悪い人間」「深く考えない青年」「つねに間違ったことを選ぶ運命」の、その核にある彼自身が見えなかった。」   「今回はどの作品にもみな○が入ったものの、×も同様に多く、過半数の点を集めた小説がなかった。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 米澤穂信 林真理子 辻村深月 浅田次郎 宮部みゆき 桐野夏生

米澤穂信47歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題選評　総行数144　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 △ 27 「著者の頭抜けた力量を感じた。知識を収集して小説に織り込む手際といい、描写の技術といい、積んでいるエンジンが違う。ただその優れたエンジンから繰り出された物語が、今回の場合、やや飛距離に欠ける憾みがなかったか。物語から浮かび上がるメッセージは、エピローグの凝った仕掛けを踏まえてもなお、善良さの勧めを大きく出るものではない。」「選考の中で、この小説には一種類の理想しかないという指摘を聞いた。慧眼だと思う。」 青柳碧人 44歳 全 △ 19 「国の内と外、民と官、文化と行政、多様な視点から戦争とその時代を立体的に描き得る希代の着想で、まことに胸躍った。だからこそ、惜しい。歴史を扱う手つきがどこか危うい。人間性の最も深い部分を垣間見るようなここぞという場面で、物語が敬意と重みを欠くきらいがある。」 芦沢央 41歳 全 △ 14 「ミステリ読者としての自分は本書に喜んだが、佳品を読んだという以上のものを見つけだし、選考の場で力強く推していくことはできなかった。」 塩田武士 46歳 全 ■ 27 「私刑の小説だが、現実社会が人を裁くまでの手順の複雑さ、慎重さ、それでもなお時には誤るという重い現実に照らして、私刑の標的を探す方法がやや簡便に過ぎはしないか。」「冒頭の事件と「金屏風事件」をモデルの一つにしたと思しき後半の展開が有機的に繋がらず、小説が分断されている。」 夏木志朋 36歳 全 ◎ 27 「おはなしを常識的倫理観の枠内に留める小説が多い現代にあって、目を瞠るほど、あるがままにやんちゃな小説だ。」「読むほどに物語へ没入し、読後には何か変な、面白いものを読んだぞという笑みがこぼれた。一番面白かったものを推すことに躊躇いはなかったが、一冊の作品集として見た場合に、収録作の出来栄えや分量がばらつき過ぎて不恰好だという意見には頷くしかなかった（私も一篇目は推さない）。」 柚月裕子 57歳 全 ■ 20 「まず、これを書き上げた著者の自制と勇気に敬意を表する。」「他の選考委員からは、この小説は理不尽を語るもので、この世が理不尽である以上は小説が破滅的な結末を迎えるのも当然という意見が聞かれた。卓見である。しかしそれでも、運命に介入してくる偶然の多さ、それらがもたらす結果の重大さをそのまま呑み込むことは難しかった。」   「六作いずれにも、さすが候補作と唸るような、よいところがあった。議論を尽くし、すべてが投票に委ねられた結果、過半数の票を得た小説は現れなかった。全力で小説に向き合った結果と思えば悔いはない。しかしもちろん、残念という思いも他方にある。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 角田光代 林真理子 辻村深月 浅田次郎 宮部みゆき 桐野夏生

林真理子71歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題なんら恥ずべきことはない　総行数142　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 ■ 29 「もっともっと面白くなってもいいはずがなっていない。それはなぜだろうか。」「ひとつひとつの物語が長過ぎる。巧みな箇所と稚拙な箇所との差が目立つ。」「肉体的接触が全くないまま、少年二人の同性愛の話が出てくるが、これが呆然とするほど唐突だった。これだけ大きな小説を書ける人なのだから、細部にもめくばりしてほしい。」 青柳碧人 44歳 全 ● 18 「二人の主人公のバランスが取れていない。作者が乱歩の方をはるかに愛しているのはあきらかだ。」「そもそも帝大出で固めた当時の外務省において、私大中退の千畝は理不尽なめにもあったはずであるが、そこがいっさい書かれていないのは不思議である。」 芦沢央 41歳 全 △ 14 「重大なことを隠すために別の嘘をつく、という犯人の行動は共通しているが、それぞれが違う物語に仕上がっている。実に達者だ。しかし退職した元刑事の推理であるからして、そこかしこに物足りなさが残るのは残念であった。」 塩田武士 46歳 全 ● 29 「現代のＳＮＳの暴力に一石を投じる小説と期待して読んだ。」「ところが小説は途中から、不幸な過去を持つ歌姫の物語になっていくではないか。」「私は違うだろうと言いたい。どれほどつらくても、読者を途中退屈させても、法廷シーンはきちんと書くべきで、匿名の悪意を乱発する、原告の言い分も描かなければいけなかった。」 夏木志朋 36歳 全 ○ 28 「一作だけ○印をつけた」「まず抜群に文章がうまい。」「女性教師が腹立ちのあまり、常軌をはずれた行動に向かうプロセスは、心理描写が巧みで、読者は彼女の側に立ってしまう。そしていつのまにか自分さえもＮ（私はナチュラルと理解した）から逸脱してしまうのだ。また最後の短篇が特にそうだが、この本に流れている不気味さがあまりにも巧みで、これこそ現代だと思った。」 柚月裕子 57歳 全 ● 20 「最初からシラけてしまった。主人公である犯人に、のっけから感情移入出来なかった。」「のっけから私はこの主人公と共に、北に向かう気持ちがすっかり萎えてしまったのである。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 角田光代 米澤穂信 辻村深月 浅田次郎 宮部みゆき 桐野夏生

辻村深月45歳×各候補作

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題選評　総行数269　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 ◎ 73 「（引用者注：「乱歩と千畝」と共に）推した。」「エピローグが不要ではないかという意見も多くあったが、私はこのエピローグを読んだからこそ、この小説をイチ押しと決めて選考会に臨んだ。」「エピローグに至って小説全体の構造が明らかになり、期間工の彼が声を上げる。ボルトは取り除かれ、私たちが読んできた、誰かの元にこれから起こったからもしれない不幸が未然に防がれる。この展開を読んで心が震えた。それは、作中で描かれる、うんざりするような、そして私たちの周りに日々蔓延する「変えようとしても無駄」の圧力に、真っ向から対峙する真逆のメッセージだから。」 青柳碧人 44歳 全 ◎ 44 「（引用者注：「ブレイクショットの軌跡」と共に）推した。」「この小説の持つ自由さに心惹かれた。」「歴史の世界でここまで奔放に遊んでよいのだと、私も実作者の一人として勇気と活力をもらった。同じように、きっとこの本を読んだ若い世代から、こんな自由な発想で歴史や小説を描きたいと思う人が出てくるのではないか。それはさながら、文芸誌「宝石」に寄せられた乱歩の評論に触発され、各地で書くことへのさまざまな萌芽が起こるように。」 芦沢央 41歳 全 △ 28 「選考会では全編パターンが似ているといった指摘もあったが、その同じ色合いの動機をすべて別角度から違う事件に仕立てるのは決して容易にできることではないはずだ。芦沢さんのミステリは、謎の提示の仕方と、提示されてしばらくの「なぜそうなったんだろう？」という読者への興味の持たせ方、世界観に引き込む力が素晴らしく、別の一編が始まるたびに次は一体どんなお話だろうと楽しみにできるのが最大の魅力だと思う。」 塩田武士 46歳 全 ■ 31 「惜しいと感じたのが、誹謗中傷という「安全圏のスナイパー」である他人からの暴力を論じる際に、告発をした瀬尾を被害者たちに極めて近しい人物にしていることで、感情としての物語の側面が強くなり、問題を俯瞰して語る視点が薄れてしまったように感じられたことだ。」「物語の構成が二つに分離しているという指摘があったが、しかし、それは単純にどちらを取ればよいというものではなく、大きなテーマと、それを描く著者の塩田さんへの期待の高さから、読者として著者が設計した通りの狙いに辿り着けなかったのかもしれないと残念に思う。」 夏木志朋 36歳 全 △ 43 「私は二編目の『スタンドプレイ』が特に好きだ。」「大きな結論やメッセージ性があるわけではないのに多くの「逸脱」の経験を持つ人のどこか・何かに寄りそう強さを感じた。」「私は最初の二編が特に輝いて思え、三編目の『占い師Ｂ』の魅力を摑み切れなかったのだが、別の選考委員は『占い師Ｂ』こそを高く評価していて他への評価が辛く――といった悩ましさがあり、このバランスゆえに受賞に至らなかった印象だ。」 柚月裕子 57歳 全 △ 39 「震災に対する描写にも著者の覚悟を感じ、胸打たれた。」「私は当初、殺人犯となって逃げる真柴の不幸の描き方に疑問があった。」「しかし、選考会中、別の選考委員から出た「運命」という言葉を聞き、小説全体の見え方がまったく変わった。誰のもとにも、どんなタイミングでも訪れる死というものの残酷さと、その主題を東日本大震災の物語の中で扱った柚月さんの、作家としての小説・主題への対峙の仕方、まなざしの深さを心から尊敬する。」   「選考委員全員がこの賞にふさわしい受賞作を、と議論を尽くした四時間。結果には納得しているし、この結論しかなかったと思っているが、受賞作を送り出せなかったことは率直にとても残念だ。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 角田光代 米澤穂信 林真理子 浅田次郎 宮部みゆき 桐野夏生

浅田次郎73歳×各候補作

年齢/枚数の説明 見方・注意点

題饒舌癖　総行数142　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 ■ 24 「より詳しく書きたいのは表現者として当然であるが、享受者は必ずしもそれを望んではいない。」「短篇小説のみならず長篇小説においても、ストーリーを侵しテーマを脅かすような部分はつとめて削り落とさなければならない。」 青柳碧人 44歳 全 ■ 17 「小説の要領を弁えている。」「説明をすれば長くなってしまう箇所、あるいは相応の資料を必要とする部分は巧みに回避して、うまく話をまとめていた。しかしその要領も過ぎれば時代の空気が薄くなる。たとえば軍人が一人しか登場しないというだけでも、作品の時代背景には大きな欠落が生ずる。」 芦沢央 41歳 全 ● 16 「主人公は定年を迎えた元刑事なので、法的な決着を求めるのは難しい。するとどの話も尻すぼみで後味の悪い結末になってしまう。これを文学的に解決するとしたら、主人公の人生哲学とか諦観とか、老人特有のニヒリズムで締めるほかはないと思うが、それはそれで難しい話であろう。」 塩田武士 46歳 全 △ 31 「面白く読んだ。」「お笑い芸人もアイドルもネット社会もおよそ門外漢である私にまで面白く読ませたのは、ひとえにエンタテインメントとしてのセンスであろう。よってこの作者は必ず良い作品を書くであろうし、むしろ長い作家人生の道標となるものは本作であってほしくはないと思った。あえて気がかりな点を挙げておくと、これは他の候補作にも総じて言えることだが、文章が饒舌である。すなわち、小さな言葉で大きな世界を表すという日本語の特質を欠いている。」 夏木志朋 36歳 全 ■ 12 「収録作品のバランスが悪かった。前二篇は日常生活の中のサスペンスを淡々と描き、のっぴきならぬ面白さがあったのだが、後の一篇は冗長で感心しなかった。」 柚月裕子 57歳 全 ■ 20 「他の候補作に比べてさすがに一日の長を感じさせた。まず第一に、「父と子」という一貫したテーマを持っている点である。第二には、「心ならずも二つの殺人を犯してしまった不運な男」という、明確なプロットが立っている点である。」「登場人物の過多と饒舌のせいで肝心のストーリーテリングが十分に発揮されなかった。」   「今回は六作の候補作が上がったにもかかわらず、推せる作品がなかった。相対的な評価はできても、過去の受賞作に比べて遜色なしとする絶対的価値は見出せなかった。」「この結果がまさか文学の衰弱であるとは思わない。むしろ時代のために、市場経済のために至らぬ小説を戴冠せしむるとすれば、それこそが文学の頽廃を招くであろう。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 角田光代 米澤穂信 林真理子 辻村深月 宮部みゆき 桐野夏生

宮部みゆき64歳×各候補作

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題新しい才能　総行数225　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 ◎ 42 「（引用者注：「逃亡者は北へ向かう」と共に）一位に推していまして、」「ひさびさに「作者の手のひらで転がされながら、どっぷりと物語にひたって翻弄される」楽しみを与えてくれる作品でした。」「いろいろ議論しているうちに、確かに細部に疑問点があったり、時制のずらし方がわかりにくかったり（これをパッと明快にしてしまうと物語の妙味も薄れてしまうのですが）、なかなか不利な展開になってしまって、小説を評じることの難しさに、今さらながら胃がきりきりしました。」 青柳碧人 44歳 全 □ 51 「選考会の議論の中で耳にした「舞台劇のよう」という表現がぴったりでした。」「若々しい才気に満ちた作品でした。」「歴史小説でどんな史実や人物を題材にし、どんな一面を切り取って物語化するのか、それは一〇〇パーセント作者の自由です。ただ、文学賞という場で評価の対象になると、反対意見も出てくるということだと理解していただきたいと思います。」 芦沢央 41歳 全 △ 26 「ひんやりとした肌触りの連作短編集で、猛暑のなかで読むにはうってつけでした。」「元刑事の私立探偵ものとして、ぜひこのシリーズを続けていただきたいです。そしてその中では、嫌な話だろうと思って調べていったら、意外と泣ける話だったとか、笑える話だったとか、そんなバリエーションがあると楽しいなあと勝手に想像をふくらませています。」 塩田武士 46歳 全 ■ 47 「贅沢に二つのテーマを盛り込んでいるので、前半と後半で物語が分裂してしまっているのです。弁護士を主役に立てたＳＮＳ誹謗中傷ラッシュとの司法の場での戦いと、薄幸の歌姫の人生ドラマは、別々の作品になったはずです。」「もう一つ、ミステリー好きの目で見ますと、序章「宣戦布告」の文章から窺うことができる書き手のキャラクターと、後に登場する瀬尾のキャラクターがかけ離れているので、ここにトリックが隠されているように見える。（引用者中略）ちょっと深読みを誘われてしまいました。」 夏木志朋 36歳 全 △ 22 「『Ｎの逸脱』が二冊目というぴかぴかの新人作家ですが、既にご自分だけのトーンを持っていると思います。そして独特なそのトーンに、今の段階で「エンタテイメント」という枠をかけてしまっていいものなのか、迷いを覚えました。」 柚月裕子 57歳 全 ◎ 41 「（引用者注：「ブレイクショットの軌跡」と共に）一位に推していまして、」「終盤、逃亡者の青年が「自分の人生に起きた出来事は、不運のせいではなく、全て自分の選択の結果だったのだ」という痛ましい洞察にたどり着くシーンでは、涙してしまいました。しかし、それでも――という物語の決着の付け方に、柚月さんの作家としての矜持があると思いました。」「私にとってはこの作品が受賞作です。」   「今回は受賞作を選ぶことができませんでした。四時間あまり議論しまして、最終的には二作で決選投票をしましたが、得点が過半に達する作品がなかったということです。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 角田光代 米澤穂信 林真理子 辻村深月 浅田次郎 桐野夏生

桐野夏生73歳×各候補作

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題選評　総行数157　（1行=12字） 候補 評価 行数 評言 逢坂冬馬 39歳 全 △ 20 「この作者の作品はみな力作なのだが、この作品は特に取材もよくされている。残念なのは、各章が有機的に結びついているようで、実はばらけた印象があることだろうか。」「一台の車の軌跡ではあるが、その軌跡を追っていくと「善良に生きる」という「正しさ」に辿りつくのだとしたら、あまりにもシンプルに過ぎないだろうか。」 青柳碧人 44歳 全 △ 24 「愉快で不思議な作品だ。」「何ともファンタジックというか、自在な作品である。とはいえ、乱歩も千畝も他の登場人物も、実在の人物であるからには、やはりリアリティも欲しい。とりわけ乱歩の描き方に不満が残る。」「年表を辿るように小説の中では時が進んでいくが、次第に乱歩と千畝が生身の感覚を失っていくのは、そのせいではないだろうか。」 芦沢央 41歳 全 △ 15 「穏やかな日常生活に根ざした視点が秀逸な作品だ。」「何かの出来事に遭うたびに、彼（引用者注：主人公の元刑事）は過去の事件を思い出すし、これまでの経験が推理に役立つ。それが出来事を立体的に見せている。難点は、意外性を追求するあまり、無理をしているような印象があることだ。」 塩田武士 46歳 全 △ 23 「暴露された八十三人のネットユーザーのその後の話がいつの間にか消えて、天才歌手の悲惨な少女時代の話が深まるにつれ、全体のバランスが崩れてしまったように思える。もっとも、私は瀬尾という男の復讐譚として面白く読んだし、友情でも愛情でもない深い絆に結ばれた男女の関係が、うまく描かれていると感心した。」 夏木志朋 36歳 全 △ 18 「うまい新人が現れたものだ、と感心しながら読んだ。何と言っても、その視線の力である。対象との距離感が心地よく、その距離が「意地悪」と言ってもよいような独創的で自在な視線を形作っている。」「「占い師Ｂ」で、持ち前の大胆さが消えて、少々窮屈になったのは、作品集として纏めようとしたせいではないだろうか。」 柚月裕子 57歳 全 △ 18 「未曾有の大災害の中で起きる殺人事件。警察官も被災しているのだから、個人の悲劇や苦難を抱えたままで公の捜査を続けなければならない、という辛苦の二重構造がよく効いている。」「刑事や警察官の名前がたくさん出てきて混乱を誘う。銃殺シーンは冒頭に書いてあったのでわかってはいたが、あまりにも哀れだ。」   「まさか今回も、芥川直木ともに「該当作なし」という結末になるとは思いもよらなかったし、このようにメディアで騒がれるとも思っていなかった。候補者の皆さんには、二十七年前の私のように落ち込まないで頂きたい、と切に願っている。」

他の選考委員 京極夏彦 三浦しをん 角田光代 米澤穂信 林真理子 辻村深月 浅田次郎 宮部みゆき

逢坂冬馬39歳×各選考委員　 『ブレイクショットの軌跡』 連作長篇 1065枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 京極夏彦 62歳 全 △ 24 「『ブレイクショットの軌跡』の持つ構造美には敬服する。」「予測不能の動きを見せるボール同士が打ち当たることで綺麗に収束して行く様こそが狙いなのだと考える。ただそうした様式が万人に理解されるとは限らない。特にＬＧＢＴＱ＋の扱いに関しては、違和感を抱く読者も多かったかもしれない。」 三浦しをん 48歳 全 □ 50 「一番には推さなかった理由はエピローグだ。」「それまでに張った伏線の回収に重きが置かれ、登場人物が作品を構築するための「駒」っぽくなってしまっていると思える。」「現実に生きる社会的弱者は、あたりまえだが、小説を構築するためのネタではない。エピローグに至って、登場人物が駒のように受け取れてしまうのは、現実の社会的弱者すらも小説のための駒にしているのでは、と受け取れる隙でもあると思えてならなかった。」 角田光代 58歳 全 ■ 32 「ストーリー作りが本当にみごとである。虚実ない交ぜになった現代社会も絶妙に描かれ、かつ、アフリカの少年兵士たちもリアリティを持って描かれている。」「登場人物のほぼすべてが、そのストーリーのために存在しているように思えてしまう。」「マジョリティが悪でマイノリティが善、富裕層が悪でそれ以外が善、虚が悪で実が善、という単純な図式を、この小説にあてはめることも可能になってしまい、これほどゆたかに膨らんだ小説に平板な印象を与えてしまっているようにも思う。」 米澤穂信 47歳 全 △ 27 「著者の頭抜けた力量を感じた。知識を収集して小説に織り込む手際といい、描写の技術といい、積んでいるエンジンが違う。ただその優れたエンジンから繰り出された物語が、今回の場合、やや飛距離に欠ける憾みがなかったか。物語から浮かび上がるメッセージは、エピローグの凝った仕掛けを踏まえてもなお、善良さの勧めを大きく出るものではない。」「選考の中で、この小説には一種類の理想しかないという指摘を聞いた。慧眼だと思う。」 林真理子 71歳 全 ■ 29 「もっともっと面白くなってもいいはずがなっていない。それはなぜだろうか。」「ひとつひとつの物語が長過ぎる。巧みな箇所と稚拙な箇所との差が目立つ。」「肉体的接触が全くないまま、少年二人の同性愛の話が出てくるが、これが呆然とするほど唐突だった。これだけ大きな小説を書ける人なのだから、細部にもめくばりしてほしい。」 辻村深月 45歳 全 ◎ 73 「（引用者注：「乱歩と千畝」と共に）推した。」「エピローグが不要ではないかという意見も多くあったが、私はこのエピローグを読んだからこそ、この小説をイチ押しと決めて選考会に臨んだ。」「エピローグに至って小説全体の構造が明らかになり、期間工の彼が声を上げる。ボルトは取り除かれ、私たちが読んできた、誰かの元にこれから起こったからもしれない不幸が未然に防がれる。この展開を読んで心が震えた。それは、作中で描かれる、うんざりするような、そして私たちの周りに日々蔓延する「変えようとしても無駄」の圧力に、真っ向から対峙する真逆のメッセージだから。」 浅田次郎 73歳 全 ■ 24 「より詳しく書きたいのは表現者として当然であるが、享受者は必ずしもそれを望んではいない。」「短篇小説のみならず長篇小説においても、ストーリーを侵しテーマを脅かすような部分はつとめて削り落とさなければならない。」 宮部みゆき 64歳 全 ◎ 42 「（引用者注：「逃亡者は北へ向かう」と共に）一位に推していまして、」「ひさびさに「作者の手のひらで転がされながら、どっぷりと物語にひたって翻弄される」楽しみを与えてくれる作品でした。」「いろいろ議論しているうちに、確かに細部に疑問点があったり、時制のずらし方がわかりにくかったり（これをパッと明快にしてしまうと物語の妙味も薄れてしまうのですが）、なかなか不利な展開になってしまって、小説を評じることの難しさに、今さらながら胃がきりきりしました。」 桐野夏生 73歳 全 △ 20 「この作者の作品はみな力作なのだが、この作品は特に取材もよくされている。残念なのは、各章が有機的に結びついているようで、実はばらけた印象があることだろうか。」「一台の車の軌跡ではあるが、その軌跡を追っていくと「善良に生きる」という「正しさ」に辿りつくのだとしたら、あまりにもシンプルに過ぎないだろうか。」

他の候補作 青柳碧人 『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 芦沢央 『噓と隣人』 塩田武士 『踊りつかれて』 夏木志朋 『Ｎの逸脱』 柚月裕子 『逃亡者は北へ向かう』

青柳碧人44歳×各選考委員　 『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 長篇 762枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 京極夏彦 62歳 全 ■ 24 「フィールドの異なる接点の見出し難い著名人二人を重ねることで物語を紡ぎ出すという試みが、そもそも痛快である。」「二人の人格／人生を形成するのに欠かせないだろう双方の葛藤や暗部を多くスキップしてしまう構成は、一部の読者にとって容認出来ないものとなるのではないか。作品の趣旨からは外れてしまうパーツであっても、そこは掬い上げ適宜処理すべきだったのではなかろうか。」 三浦しをん 48歳 全 ■ 23 「当初、「この二人、知りあいだったの!?」と思ってしまったほど説得力があった。」「ただ、だんだん有名人顔見世興行みたいになっていき、そこが楽しくもあるのだが、若干のあらすじ感は否めず、惜しいと思った。個人的には、隆子の兄や、乱歩の兄弟もいい味を出していると感じたので、かれらがどうなったのかも知りたかった。」 角田光代 58歳 全 △ 26 「私は非常におもしろく読み、実際に乱歩と千畝にこのような親交があったのかと半ば信じてしまうほどだった。」「書けないと悩みながら作品を生み出したことで、乱歩もまた千畝と同様に、じつに多くの人を救ったのだという小説の主張には感動したのだが、こんなにもおもしろく読んだのは、もしかして私がミステリー小説に疎く、江戸川乱歩、横溝正史といった作家たちをよく知らないからかもしれないと、選考会で思ってしまった。」 米澤穂信 47歳 全 △ 19 「国の内と外、民と官、文化と行政、多様な視点から戦争とその時代を立体的に描き得る希代の着想で、まことに胸躍った。だからこそ、惜しい。歴史を扱う手つきがどこか危うい。人間性の最も深い部分を垣間見るようなここぞという場面で、物語が敬意と重みを欠くきらいがある。」 林真理子 71歳 全 ● 18 「二人の主人公のバランスが取れていない。作者が乱歩の方をはるかに愛しているのはあきらかだ。」「そもそも帝大出で固めた当時の外務省において、私大中退の千畝は理不尽なめにもあったはずであるが、そこがいっさい書かれていないのは不思議である。」 辻村深月 45歳 全 ◎ 44 「（引用者注：「ブレイクショットの軌跡」と共に）推した。」「この小説の持つ自由さに心惹かれた。」「歴史の世界でここまで奔放に遊んでよいのだと、私も実作者の一人として勇気と活力をもらった。同じように、きっとこの本を読んだ若い世代から、こんな自由な発想で歴史や小説を描きたいと思う人が出てくるのではないか。それはさながら、文芸誌「宝石」に寄せられた乱歩の評論に触発され、各地で書くことへのさまざまな萌芽が起こるように。」 浅田次郎 73歳 全 ■ 17 「小説の要領を弁えている。」「説明をすれば長くなってしまう箇所、あるいは相応の資料を必要とする部分は巧みに回避して、うまく話をまとめていた。しかしその要領も過ぎれば時代の空気が薄くなる。たとえば軍人が一人しか登場しないというだけでも、作品の時代背景には大きな欠落が生ずる。」 宮部みゆき 64歳 全 □ 51 「選考会の議論の中で耳にした「舞台劇のよう」という表現がぴったりでした。」「若々しい才気に満ちた作品でした。」「歴史小説でどんな史実や人物を題材にし、どんな一面を切り取って物語化するのか、それは一〇〇パーセント作者の自由です。ただ、文学賞という場で評価の対象になると、反対意見も出てくるということだと理解していただきたいと思います。」 桐野夏生 73歳 全 △ 24 「愉快で不思議な作品だ。」「何ともファンタジックというか、自在な作品である。とはいえ、乱歩も千畝も他の登場人物も、実在の人物であるからには、やはりリアリティも欲しい。とりわけ乱歩の描き方に不満が残る。」「年表を辿るように小説の中では時が進んでいくが、次第に乱歩と千畝が生身の感覚を失っていくのは、そのせいではないだろうか。」

他の候補作 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』 芦沢央 『噓と隣人』 塩田武士 『踊りつかれて』 夏木志朋 『Ｎの逸脱』 柚月裕子 『逃亡者は北へ向かう』

芦沢央41歳×各選考委員　 『噓と隣人』 連作5篇 397枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 京極夏彦 62歳 全 ○ 24 「短編ミステリとしての達成度は高いだろう。」「作中人物の行動原理が現実的か否かという点が議論の俎上に乗るということは、小説としての完成度が高いことの証左でもあるのだろう。連作短編集としては未完だが、読者に続きを希求させる魅力は高く評価すべきだろう。」 三浦しをん 48歳 全 ● 11 「人間模様や設定は多彩なのだが、どの話も回想と会話で状況が説明（原文傍点）される感があり、一冊を通すとやや平板な印象を受けた。」 角田光代 58歳 全 ■ 17 「日常に潜むちょっとした謎を描くのは、この作者の面目躍如だと思うのだが、この小説に登場する謎は、人の心の複雑さを超えて、あまりにも入り組みすぎていて、説得力を欠いているようにも思う。」 米澤穂信 47歳 全 △ 14 「ミステリ読者としての自分は本書に喜んだが、佳品を読んだという以上のものを見つけだし、選考の場で力強く推していくことはできなかった。」 林真理子 71歳 全 △ 14 「重大なことを隠すために別の嘘をつく、という犯人の行動は共通しているが、それぞれが違う物語に仕上がっている。実に達者だ。しかし退職した元刑事の推理であるからして、そこかしこに物足りなさが残るのは残念であった。」 辻村深月 45歳 全 △ 28 「選考会では全編パターンが似ているといった指摘もあったが、その同じ色合いの動機をすべて別角度から違う事件に仕立てるのは決して容易にできることではないはずだ。芦沢さんのミステリは、謎の提示の仕方と、提示されてしばらくの「なぜそうなったんだろう？」という読者への興味の持たせ方、世界観に引き込む力が素晴らしく、別の一編が始まるたびに次は一体どんなお話だろうと楽しみにできるのが最大の魅力だと思う。」 浅田次郎 73歳 全 ● 16 「主人公は定年を迎えた元刑事なので、法的な決着を求めるのは難しい。するとどの話も尻すぼみで後味の悪い結末になってしまう。これを文学的に解決するとしたら、主人公の人生哲学とか諦観とか、老人特有のニヒリズムで締めるほかはないと思うが、それはそれで難しい話であろう。」 宮部みゆき 64歳 全 △ 26 「ひんやりとした肌触りの連作短編集で、猛暑のなかで読むにはうってつけでした。」「元刑事の私立探偵ものとして、ぜひこのシリーズを続けていただきたいです。そしてその中では、嫌な話だろうと思って調べていったら、意外と泣ける話だったとか、笑える話だったとか、そんなバリエーションがあると楽しいなあと勝手に想像をふくらませています。」 桐野夏生 73歳 全 △ 15 「穏やかな日常生活に根ざした視点が秀逸な作品だ。」「何かの出来事に遭うたびに、彼（引用者注：主人公の元刑事）は過去の事件を思い出すし、これまでの経験が推理に役立つ。それが出来事を立体的に見せている。難点は、意外性を追求するあまり、無理をしているような印象があることだ。」

他の候補作 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』 青柳碧人 『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 塩田武士 『踊りつかれて』 夏木志朋 『Ｎの逸脱』 柚月裕子 『逃亡者は北へ向かう』

塩田武士46歳×各選考委員　 『踊りつかれて』 長篇 859枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 京極夏彦 62歳 全 ■ 24 「綿密な取材と調査に基づく（と思われる）数々のトピックは巧みな筆致と相俟って抜群に面白い。ただ劈頭の過激なテンションは持続することなく、エピソードも次々スライドして行くため、提示された主題は中盤でフェードアウトしてしまう。」「発端であり動機ともなる二つの事象は、同根ではあるものの質は全く異っている。それを単純に接続したため構造に無理が生じたのだろう。」 三浦しをん 48歳 全 ■ 35 「不世出の歌手・美月になにがあったのかという、瀬尾の音楽プロデューサーとしての来し方のほうのストーリーラインは、とてもおもしろく拝読した。ただ、ＳＮＳ問題のほうのストーリーラインは、作者の主張がやや前面に出すぎではという気がした。」「また、シーンやエピソードの繰り返しが多すぎるのも気になる。」「とはいえ、全体的に真面目で真剣なトーンのなかにも、弁護士事務所の面々のやりとりなど、ユーモアもこめられていて、好感を抱いた。」 角田光代 58歳 全 ○ 47 「現代では天童ショージという芸人、音楽業界では奥田美月という天才的な歌手が登場することで、小説が二つに分かれてしまう。この二つの中心にいるのが瀬尾政夫という元音楽プロデューサーで、この小説は大義ではなく、彼個人の私怨にょる復讐譚だととらえると、深く納得できる。候補作のなかでもっとも登場人物が生き生きと描かれていて、人間の持つ強さと弱さについても考えさせられ、私は高く評価したのだが、この小説の持つ「大義っぽさ」が、小説の邪魔をしてしまったようにも思う。」 米澤穂信 47歳 全 ■ 27 「私刑の小説だが、現実社会が人を裁くまでの手順の複雑さ、慎重さ、それでもなお時には誤るという重い現実に照らして、私刑の標的を探す方法がやや簡便に過ぎはしないか。」「冒頭の事件と「金屏風事件」をモデルの一つにしたと思しき後半の展開が有機的に繋がらず、小説が分断されている。」 林真理子 71歳 全 ● 29 「現代のＳＮＳの暴力に一石を投じる小説と期待して読んだ。」「ところが小説は途中から、不幸な過去を持つ歌姫の物語になっていくではないか。」「私は違うだろうと言いたい。どれほどつらくても、読者を途中退屈させても、法廷シーンはきちんと書くべきで、匿名の悪意を乱発する、原告の言い分も描かなければいけなかった。」 辻村深月 45歳 全 ■ 31 「惜しいと感じたのが、誹謗中傷という「安全圏のスナイパー」である他人からの暴力を論じる際に、告発をした瀬尾を被害者たちに極めて近しい人物にしていることで、感情としての物語の側面が強くなり、問題を俯瞰して語る視点が薄れてしまったように感じられたことだ。」「物語の構成が二つに分離しているという指摘があったが、しかし、それは単純にどちらを取ればよいというものではなく、大きなテーマと、それを描く著者の塩田さんへの期待の高さから、読者として著者が設計した通りの狙いに辿り着けなかったのかもしれないと残念に思う。」 浅田次郎 73歳 全 △ 31 「面白く読んだ。」「お笑い芸人もアイドルもネット社会もおよそ門外漢である私にまで面白く読ませたのは、ひとえにエンタテインメントとしてのセンスであろう。よってこの作者は必ず良い作品を書くであろうし、むしろ長い作家人生の道標となるものは本作であってほしくはないと思った。あえて気がかりな点を挙げておくと、これは他の候補作にも総じて言えることだが、文章が饒舌である。すなわち、小さな言葉で大きな世界を表すという日本語の特質を欠いている。」 宮部みゆき 64歳 全 ■ 47 「贅沢に二つのテーマを盛り込んでいるので、前半と後半で物語が分裂してしまっているのです。弁護士を主役に立てたＳＮＳ誹謗中傷ラッシュとの司法の場での戦いと、薄幸の歌姫の人生ドラマは、別々の作品になったはずです。」「もう一つ、ミステリー好きの目で見ますと、序章「宣戦布告」の文章から窺うことができる書き手のキャラクターと、後に登場する瀬尾のキャラクターがかけ離れているので、ここにトリックが隠されているように見える。（引用者中略）ちょっと深読みを誘われてしまいました。」 桐野夏生 73歳 全 △ 23 「暴露された八十三人のネットユーザーのその後の話がいつの間にか消えて、天才歌手の悲惨な少女時代の話が深まるにつれ、全体のバランスが崩れてしまったように思える。もっとも、私は瀬尾という男の復讐譚として面白く読んだし、友情でも愛情でもない深い絆に結ばれた男女の関係が、うまく描かれていると感心した。」

他の候補作 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』 青柳碧人 『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 芦沢央 『噓と隣人』 夏木志朋 『Ｎの逸脱』 柚月裕子 『逃亡者は北へ向かう』

夏木志朋36歳×各選考委員　 『Ｎの逸脱』 短篇集3篇 439枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 京極夏彦 62歳 全 △ 24 「収録されている三作のバランスは必ずしも良いとはいえない。短編二編は同じ主題の変奏だが三話目となる中編で趣向に変化が見て取れる。これはブレではなく試行錯誤と見るべきだろう。表題のＮを何と取るかで読み味が変わるところも見逃せない。」 三浦しをん 48歳 全 ◎ 36 「（引用者注：「逃亡者は北へ向かう」と共に）推した。」「根底には、「人間ってなんなんだろうなあ」と思わせる余白、余韻を湛えており、非常に読みごたえがある。たとえば智子があとをつけた女性は、耳が不自由なひとだったのではないか（描写に、そう思わせる余地がある）。だとすると、智子の立場やしたことがひっくり返り、またべつの意味と暴力性を伴って新たな側面が浮かびあがってくる。多重な読みをうながす奥深さを持った小説だ。」 角田光代 58歳 全 ■ 34 「「場違いな客」「スタンドプレイ」には私はあまりびっくりさせられることなく、淡々と読んでしまったが、「占い師Ｂ」の、善悪を超越した坂東のありようを新鮮に感じた。」「この三つの物語を常緑町という町でひとくくりにし、連作ふうにしてしまったことでバランスの悪さがかえって魅力をそいでしまったように思う。」 米澤穂信 47歳 全 ◎ 27 「おはなしを常識的倫理観の枠内に留める小説が多い現代にあって、目を瞠るほど、あるがままにやんちゃな小説だ。」「読むほどに物語へ没入し、読後には何か変な、面白いものを読んだぞという笑みがこぼれた。一番面白かったものを推すことに躊躇いはなかったが、一冊の作品集として見た場合に、収録作の出来栄えや分量がばらつき過ぎて不恰好だという意見には頷くしかなかった（私も一篇目は推さない）。」 林真理子 71歳 全 ○ 28 「一作だけ○印をつけた」「まず抜群に文章がうまい。」「女性教師が腹立ちのあまり、常軌をはずれた行動に向かうプロセスは、心理描写が巧みで、読者は彼女の側に立ってしまう。そしていつのまにか自分さえもＮ（私はナチュラルと理解した）から逸脱してしまうのだ。また最後の短篇が特にそうだが、この本に流れている不気味さがあまりにも巧みで、これこそ現代だと思った。」 辻村深月 45歳 全 △ 43 「私は二編目の『スタンドプレイ』が特に好きだ。」「大きな結論やメッセージ性があるわけではないのに多くの「逸脱」の経験を持つ人のどこか・何かに寄りそう強さを感じた。」「私は最初の二編が特に輝いて思え、三編目の『占い師Ｂ』の魅力を摑み切れなかったのだが、別の選考委員は『占い師Ｂ』こそを高く評価していて他への評価が辛く――といった悩ましさがあり、このバランスゆえに受賞に至らなかった印象だ。」 浅田次郎 73歳 全 ■ 12 「収録作品のバランスが悪かった。前二篇は日常生活の中のサスペンスを淡々と描き、のっぴきならぬ面白さがあったのだが、後の一篇は冗長で感心しなかった。」 宮部みゆき 64歳 全 △ 22 「『Ｎの逸脱』が二冊目というぴかぴかの新人作家ですが、既にご自分だけのトーンを持っていると思います。そして独特なそのトーンに、今の段階で「エンタテイメント」という枠をかけてしまっていいものなのか、迷いを覚えました。」 桐野夏生 73歳 全 △ 18 「うまい新人が現れたものだ、と感心しながら読んだ。何と言っても、その視線の力である。対象との距離感が心地よく、その距離が「意地悪」と言ってもよいような独創的で自在な視線を形作っている。」「「占い師Ｂ」で、持ち前の大胆さが消えて、少々窮屈になったのは、作品集として纏めようとしたせいではないだろうか。」

他の候補作 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』 青柳碧人 『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 芦沢央 『噓と隣人』 塩田武士 『踊りつかれて』 柚月裕子 『逃亡者は北へ向かう』

柚月裕子57歳×各選考委員　 『逃亡者は北へ向かう』 長篇 727枚

年齢/枚数の説明 見方・注意点

選考委員 評価 行数 評言 京極夏彦 62歳 全 ○ 22 「東日本大震災をダイレクトに扱った希有なエンタテインメントとして位置づけられるだろう。」「視点人物の行動に一部不可解さがある、ラストの処理が説得力に欠けるなど疑問点も多々あるが、それを差し引いても高い熱量を持つ傑作ではあるだろう。」 三浦しをん 48歳 全 ◎ 41 「（引用者注：「Ｎの逸脱」と共に）推した。」「運命と人間の意志との相克を描いた小説だと思った。東日本大震災のさなかで連続殺人が起きたら、という話だが、決して設定過積載ではなく、作者の覚悟が感じられた。」「残酷さと希望が相半ばするこの展開を通し、作者が投げかける「ひとは死ぬ。だけど……」という問いかけは、私の胸を強く打った。」 角田光代 58歳 全 ■ 34 「作者が、東日本大震災を、たんなる題材でも背景でもなく、しっかりととらえて書き記そうとした、その意志と覚悟が伝わってくる力作だと思った。」「しかしながら小説の中心にいる亮という人間を、私はどうしてもつかみかねてしまい、「運の悪い人間」「深く考えない青年」「つねに間違ったことを選ぶ運命」の、その核にある彼自身が見えなかった。」 米澤穂信 47歳 全 ■ 20 「まず、これを書き上げた著者の自制と勇気に敬意を表する。」「他の選考委員からは、この小説は理不尽を語るもので、この世が理不尽である以上は小説が破滅的な結末を迎えるのも当然という意見が聞かれた。卓見である。しかしそれでも、運命に介入してくる偶然の多さ、それらがもたらす結果の重大さをそのまま呑み込むことは難しかった。」 林真理子 71歳 全 ● 20 「最初からシラけてしまった。主人公である犯人に、のっけから感情移入出来なかった。」「のっけから私はこの主人公と共に、北に向かう気持ちがすっかり萎えてしまったのである。」 辻村深月 45歳 全 △ 39 「震災に対する描写にも著者の覚悟を感じ、胸打たれた。」「私は当初、殺人犯となって逃げる真柴の不幸の描き方に疑問があった。」「しかし、選考会中、別の選考委員から出た「運命」という言葉を聞き、小説全体の見え方がまったく変わった。誰のもとにも、どんなタイミングでも訪れる死というものの残酷さと、その主題を東日本大震災の物語の中で扱った柚月さんの、作家としての小説・主題への対峙の仕方、まなざしの深さを心から尊敬する。」 浅田次郎 73歳 全 ■ 20 「他の候補作に比べてさすがに一日の長を感じさせた。まず第一に、「父と子」という一貫したテーマを持っている点である。第二には、「心ならずも二つの殺人を犯してしまった不運な男」という、明確なプロットが立っている点である。」「登場人物の過多と饒舌のせいで肝心のストーリーテリングが十分に発揮されなかった。」 宮部みゆき 64歳 全 ◎ 41 「（引用者注：「ブレイクショットの軌跡」と共に）一位に推していまして、」「終盤、逃亡者の青年が「自分の人生に起きた出来事は、不運のせいではなく、全て自分の選択の結果だったのだ」という痛ましい洞察にたどり着くシーンでは、涙してしまいました。しかし、それでも――という物語の決着の付け方に、柚月さんの作家としての矜持があると思いました。」「私にとってはこの作品が受賞作です。」 桐野夏生 73歳 全 △ 18 「未曾有の大災害の中で起きる殺人事件。警察官も被災しているのだから、個人の悲劇や苦難を抱えたままで公の捜査を続けなければならない、という辛苦の二重構造がよく効いている。」「刑事や警察官の名前がたくさん出てきて混乱を誘う。銃殺シーンは冒頭に書いてあったのでわかってはいたが、あまりにも哀れだ。」

他の候補作 逢坂冬馬 『ブレイクショットの軌跡』 青柳碧人 『乱歩と千畝　RAMPOとSEMPO』 芦沢央 『噓と隣人』 塩田武士 『踊りつかれて』 夏木志朋 『Ｎの逸脱』