生没年月日【注】 | 大正12年/1923年8月7日~平成8年/1996年2月12日 | |
在任期間 | 第62回~第82回(通算10.5年・21回) | |
在任年齢 | 46歳4ヶ月~56歳4ヶ月 | |
経歴 | 本名=福田定一。大阪府生まれ。大阪外国語学校蒙古語学科卒。 | |
受賞歴・候補歴 |
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処女作 | 「ペルシャの幻術師」(昭和31年/1956年) | |
個人全集 | 『司馬遼太郎全集』全68巻(昭和56年/1981年12月~平成12年/2000年3月・文藝春秋刊) | |
直木賞候補歴 | 第42回受賞 『梟の城』(昭和34年/1959年9月・講談社刊) |
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サイト内リンク | ▼直木賞受賞作全作読破への道Part3 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 司馬遼太郎 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
河村健太郎 | 41歳 |
○ | 23 | 「どれかをえらばねばならぬとしたら、河村健太郎氏の「おたまじゃくしは蛙の子」だろうかと思った。」「男の筆者が女の作り声で書いてみごとな芸になっているという達者さに驚嘆した。」「(引用者注:最後に「藤田嗣治」と残ったとき)強く推すほどの気持が、私にはなかった。」「しかし、いまでもこの作品が受賞してもよかったのではないかという気持が、かすかにのこっている。」 |
「直木賞的な分野にあたらしい小説がおこることは、ここしばらくないかもしれないと悲観的な、というより絶望的な予想をもっていたやさき、皮肉にも審査員の末席につらなることになった。」「わるい時期に顔を出したと思っている。」「こんどの候補作品には、賞にあたいするようなものがなかった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和45年/1970年4月号 |
選考委員 司馬遼太郎 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
広瀬正 | 46歳 |
◎ | 16 | 「一読者として一番面白かった」「この人の空想能力と空想構築の堅牢さにおどろいた。」「七分目がた、これを推した。が、どうもぶ(原文傍点)がわるく、ぶ(原文傍点)の悪い理由もよくわかるから、途中で推しつづける根気をうしなった。」 |
50歳 |
○ | 7 | 「受賞作なしというのが本音だったが、石坂委員が、努力して掬いあげるべきです、といわれたのに発奮し、作品になじみのふかい豊田穣氏「長良川」に過不足無さを感じ、これを推した。」 | |
「こんどはいわば不作で、どの作品を推していいのかわからないままに出席した。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和46年/1971年4月号 |
選考委員 司馬遼太郎 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
広瀬正 | 47歳 |
◎ | 32 | 「私は広瀬正氏の「エロス」を推した。」「この小説の設定につかわれた人間も空間も時間も、フラスコや試験管といったふうの実験器具として組みあわされ、作者自身は白い実験衣を着た進行係にすぎず、実験の進められようが非現実的であっても、遊戯としてわりきってしまえばじつにおもしろい。」「才能(広瀬氏のは従来の文学的才能ではなさそうである)という点では、私は三作(引用者注:「エロス」と前候補作二つ)とも頭がさがった。」 |
田中小実昌 | 46歳 |
○ | 17 | 「脈搏と血の温度を感じさせる文体によっていかがわしいほどにナマな現実の世界に誘い入れてくれた。」「読みやめることを許さない力をもっていたのは、(引用者中略)生きものくさい臭気や体温の懐しさについつい誘われつづけてしまったせいであるにちがいない。」 |
「事務局がどうにか水準以上の候補作をさがすのに苦心惨憺しているような印象で、気の早い言い方で恐縮だが、この賞の小説世界の電圧が一般に低下しているのではないかと思ったりする。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年4月号 |
選考委員 司馬遼太郎 52歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
田中光二 | 34歳 |
○ | 20 | 「読者としては、田中光二氏「大いなる逃亡」がおもしろかった。頭から大うその世界へ入ってゆける楽しみは大げさにいえば心が躍るようである。」「が、私だけが面白がっていることが賞になるのかということになると、疑問を感じてしまう。」「受賞しないということも、ある意味ではこの種の娯楽性の高い作品にとって一つの名誉であるとも思った。」 |
38歳 |
△ | 30 | 「娯楽で読む人はすくないにちがいない。」「人間の形をした「空白」をのぞきこんだとき、ごく一般的な作法によるなまなかな饒舌よりも人間のぶきみさについて、はるかに内容の深い何事かを感じさせる。」 | |
「こういう選考というのは私には苦手で、経験を経るに従って迷いの振幅が大きくなってくる。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和51年/1976年4月号 |
選考委員 司馬遼太郎 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
49歳 |
○ | 12 | 「べつに生きたくて生きているわけでもない――といって格別な厭世観をもっているわけでもない――男女をさりげなく短編世界に生かしてしまっている。腕もさることながら、作者のふしぎな精神のほうにつよい傾斜を感じた。」 | |
49歳 |
○ | 14 | 「上手な小説でもないが、主題への骨太い実直さと、それと無縁ではない現実感のおびただしい累積が、ロシアの画家の不器用なデッサンを見るような迫力を感じさせた。」 | |
深田祐介 | 46歳 |
○ | 6 | 「登場人物を作者のすぐれた才気でてきぱきと造形化しつつ、ビジネスの社会を喜劇化してみせた手練は容易なものではない。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和53年/1978年10月号 |