| 生没年月日【注】 | 大正2年/1913年7月29日~平成5年/1993年8月21日 | |
| 経歴 | 宮崎県生まれ。東京出身。東京京北実業高校卒。カメラメーカー・ワルツ社に勤務。会社の倒産を機に作家業に専念。 | |
| 受賞歴・候補歴 |
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「暗雲」「大陸商人」「古塔」「閃光」
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| 分載回数 | 全4回 | ||||
| 誌名 | 「文学者」 | ||||
| 巻号 | (1)第14巻 第7号 (2)第14巻 第10号 (3)第15巻 第1号 (4)第15巻 第8号 別表記(1)7月号 (2)10月号 (3)1月号 (4)8月号 | ||||
| 作品名 別表記 | (1)「暗雲」 (2)「大陸商人」 (3)「古塔」 (4)「閃光」 | ||||
| 印刷/発行年月日 | (1)発行 昭和46年/1971年7月10日 (2)発行 昭和46年/1971年10月10日 (3)発行 昭和47年/1972年1月10日 (4)発行 昭和47年/1972年8月10日 | ||||
| 発行者等 | (1)~(3)編集兼発行人 丹羽文雄 (4)編集人 中村八朗 (4)発行人 丹羽文雄 印刷人 木村史郎 編集所 (丹羽文雄内)(東京都) | ||||
| 発行所 | (日本製版内)(東京都) | ||||
| 総ページ数 | (1)87 (2)96 (3)94 (4)78 | 表記上の枚数 | ― | 基本の文字組 (1ページ当り) |
30字 ×26行 ×2段 |
| 本文ページ | (1)1~25 (2)4~34 (3)8~41 (4)1~49 (計139頁) |
測定枚数 | 508枚 | ||
書誌
昭和48年/1973年5月・白馬出版刊『暗雲』
収録作品の書誌
「暗雲」
『文学者』昭和46年/1971年7月号
「大陸商人」
『文学者』昭和46年/1971年10月号
「古塔」
『文学者』昭和47年/1972年1月号
「閃光」
『文学者』昭和47年/1972年8月号
| 候補者 太田俊夫 |
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| 選考委員 | 評価 | 行数 | 評言 | |
| 大佛次郎 | ― | 0 | ||
| 源氏鶏太 | ○ | 4 | 「八方破れに書いてあったのは、「暗雲」であった。その力量は買っていい。こういう分野での作品をもっと書いて貰いたい。」 | |
| 石坂洋次郎 | ● | 8 | 「こういうものなりに、敲いて手ごたえのある筋金が欲しかった。」 | |
| 司馬遼太郎 | ■ | 10 | 「一巻の絵物語をみるようにめまぐるしく場面が、それも絵画的に変ってゆく。泥くさい魅力があるが、残念なことにそれだけという感じもある。」 | |
| 川口松太郎 | ― | 0 | ||
| 水上勉 | ― | 0 | ||
| 村上元三 | ● | 5 | 「材料が面白いのに、書いてある事柄が、一向に立体化されていない。文章のまずさも、致命的であった。」 | |
| 今日出海 | ― | 0 | ||
| 柴田錬三郎 | ― | 0 | ||
| 松本清張 | ― | 0 | ||
| 選評出典:『オール讀物』昭和48年/1973年4月号 | ||||
| 文量 | |
| 連作短篇〔4篇〕 | |
| 時代設定 | 場所設定 |
| 昭和初期~太平洋戦争後 | 東京~上海~中国・応城~香港~台湾など |
| 登場人物 | |
| ●押見亮太(区役所税務課雇からカメラ店経理、カメラ商人) ●沈栄慶(中国人、押見の商売上の腹心) ●沼部(押見の区役所時代の兄貴分) ●李小梅(沈の従妹、新進女優) ●塩谷秋子(押見の妻、官僚の娘) |
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| 「暗雲」 |
| 「大陸商人」 |
| 「古塔」 |
| 「閃光」 |


