生没年月日【注】 | 昭和5年/1930年12月30日~平成1年/1989年12月9日 | |
在任期間 | 第79回~第101回(通算11.5年・23回) | |
在任年齢 | 47歳6ヶ月~58歳6ヶ月 | |
経歴 | 大阪府大阪市生まれ。大阪市立大学法学部卒。大学在学中には『えんぴつ』同人。卒業後、壽屋(現・サントリー)宣伝部入社。芥川賞受賞後に退職。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『開高健全集』全22巻(平成3年/1991年11月~平成5年/1993年9月・新潮社刊) | |
芥川賞候補歴 | 第38回受賞 「裸の王様」(『文學界』昭和32年/1957年12月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 開高健 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
中野孝次 | 53歳 |
◎ | 11 | 「終始、(引用者中略)支持した。この作品は見るからに野暮で、不器用で、ギクシャクし、欠点はいくらでもある。しかし、それらのマイナスを蔽って全体に発熱していて、なぜこの作品が書かれなければならなかったかが、じわじわと伝ってくるのである。つまり、第一の美徳がある。」「しかし、前回に候補になった作品のほうがずっと出来がいいという声が多く、私はその作品を読んでいないものだから、結局、譲らざるを得なかった。」 |
30歳 |
△ | 3 | 「悪くはないけれど支持熱は消極的だというのが、私の立場である。」 | |
50歳 |
△ | 3 | 「悪くはないけれど支持熱は消極的だというのが、私の立場である。」 | |
「この賞も、何の賞も、審査員としては心得は一つしかないと私は思っている。つまり、正直が最善の策。」「今回の七つの候補作は一、二の例外を別とすれば、読後感がそれぞれそっくりである。過もなく、不足もなく、ソツがないのだが、クー・ド・グラース(止めの一撃)を欠いているという一点で、みな、よく似ている。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和53年/1978年9月号) |
選考委員 開高健 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
山田詠美 | 27歳 |
◎ | 12 | 「この人にはストーリーらしいストーリーを作ろうという強い意識があって“作文”ではないという一点。ひょっとすると“悪達者”と評されるかもしれない達者さという一点。この二点で私は買いに出た。」「惜しくも今回は長蛇を逸したけれど、その口惜しさや恨みを燃料として次作の飛躍を試みてほしい。あなたはまだ若い。まだまだやれます。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和62年/1987年3月号) |