生没年月日【注】 | 明治27年/1894年4月13日~昭和46年/1971年8月1日 | |
経歴 | 本名=福原駿雄(トシオ)、別号=夢諦軒、含宙軒。島根県生まれ。東京府立一中卒。大正2年/1913年、福原霊川の名で活動弁士デビュー。各地の映画館を転々とし、大正4年/1915年に徳川夢声と改名、以後弁士、俳優、作家など活動の場は幅広く、創成期のラジオ・テレビには欠かせない存在になる。 | |
受賞歴・候補歴 | ||
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備考 | 当サイトでは平成19年/2007年1月7日まで、徳川夢声氏の第21回候補作を、 過去のほとんどの文献をもとに「幽霊大歓迎」としていましたが、 種々調査の結果、これを「業績全般」と修正しました。 くわしくは、「「幽霊大歓迎」を追い求めて」という調査報告のページを設けましたので そちらをご覧ください。 (2007.1.8) さらに追加調査の結果、「九字を切る」その他の業績、だったと指摘する文献がありましたので、 そのように修正しました。 (2007.8.4) |
昭和13年/1938年上半期業績全般該当期までの作品 昭和2年/1927年
「オベタイ・ブルブル事件」(『新青年』昭和2年/1927年4月号)
昭和3年/1928年
「放火懺悔録」(『新青年』昭和3年/1928年4月号)/読物
「映画観客色々」(『週刊朝日』昭和3年/1928年夏季特別号[6月])/漫談
「御祖師様」(『新青年』昭和3年/1928年11月号)/漫談
昭和4年/1929年
「だから酒は有害デアル」(『新青年』昭和4年/1929年5月号)
「盛夏白昼怪談」(『サンデー毎日』昭和4年/1929年小説と講談号[9月])/漫画
「軍艦行進曲」(『講談倶楽部』昭和4年/1929年11月号)
「トーキーと私」(『週刊朝日』昭和4年/1929年11月24日号)
昭和5年/1930年
「オドドいた話」(『サンデー毎日』昭和5年/1930年創作と講談号[3月])/漫画
「犬を頂戴する」(『講談倶楽部』昭和5年/1930年9月号)/ユウモア漫談
「或る送別会報告書」(『週刊朝日』昭和5年/1930年秋季特別号[10月])
「格言抹殺提議」(『新青年』昭和5年/1930年12月号)
昭和6年/1931年
「内憂外患の記」(『サンデー毎日』昭和6年/1931年3月8日号)/漫談
「軟尖時計奇談」(『週刊朝日』昭和6年/1931年春季特別号[4月])
「ショパンのプレリュード」(『新青年』昭和6年/1931年5月号)/読物
「酔払ひ珍談」(『キング』昭和6年/1931年8月号)
「トロンボ夫妻行状記」(『オール讀物』昭和6年/1931年10月号)
昭和7年/1932年
「アセダシ教縁起」(『新青年』昭和7年/1932年3月号)/読物
「マツポン」(『新青年』昭和7年/1932年4月号)/読物
「インチキ審査員」(『オール讀物』昭和7年/1932年5月号)
「斬捨御免 時事月評」(『新青年』昭和7年/1932年6月号~8月号)/読物
「アンコクビール」(『キング』昭和7年/1932年7月号)/漫談
「軽尖園芸問答」(『日の出』昭和7年/1932年8月号)/漫談
「天国に結ぶ病院」(『週刊朝日』昭和7年/1932年秋季特別号[10月])
昭和8年/1933年
「くらがり二十年」(『新青年』昭和8年/1933年1月号~10月号)/読物
「沙六捕物帖」(『オール讀物』昭和8年/1933年1月号)
「マンダン縁起」(『週刊朝日』昭和8年/1933年新春読物号[1月])
「転向時代」(『週刊朝日』昭和8年/1933年8月20日号)
昭和9年/1934年
「新婚ビラ戦術」(『講談倶楽部』昭和9年/1934年2月号)
「ワシは丹下左膳だ」(『日の出』昭和9年/1934年2月号)
「続くらがり二十年」(『新青年』昭和9年/1934年5月号~昭和10年/1935年8月号)/読物
昭和10年/1935年
「碁盤貞操帯」(『文藝春秋』昭和10年/1935年1月号)
「隣室の騒音」(『サンデー毎日』昭和10年/1935年1月20日号)/随筆
「乾瓢海瀟」(『文藝春秋』昭和10年/1935年4月号)
「ぞオッと音頭」(『週刊朝日』昭和10年/1935年春季特別号[4月])
「波を喰ふワン氏」(『文藝』昭和10年/1935年8月号)
「映友変死録」(『新青年』昭和10年/1935年11月号)/読物
昭和11年/1936年
「選挙漫談」(『週刊朝日』昭和11年/1936年2月16日号)/漫談
「36年型浦島太郎」(『新青年』昭和11年/1936年4月号)/読物
「36年型花咲爺」(『新青年』昭和11年/1936年5月号)/読物
「36年型桃太郎」(『新青年』昭和11年/1936年6月号)/読物
「36年型猿蟹合戦」(『新青年』昭和11年/1936年7月号)/読物
「めめず動いてゐる」(『文藝春秋』昭和11年/1936年8月号)
「36年型かちかち山」(『新青年』昭和11年/1936年8月号)/読物
「将棋・青大将」(『週刊朝日』昭和11年/1936年9月27日号)
「ユーモア漫談」(『週刊朝日』昭和11年/1936年秋季特別号[10月])/漫談
「百廿呎の笑」(『新青年』昭和11年/1936年12月号)/コラム
昭和12年/1937年
「夢諦軒俳談」(『新青年』昭和12年/1937年1月号)/読物
「海老助猫退治」(『オール讀物』昭和12年/1937年2月号)
「万病一元論」(『日の出』昭和12年/1937年2月号)
「集印信心帳」(『新青年』昭和12年/1937年3月号)/読物
「蛞蝓大艦隊」(『オール讀物』昭和12年/1937年5月号)
「軍艦行進曲」(『新青年』昭和12年/1937年8月号)/読物
「倫敦胃潰瘍後記」(『文藝春秋』昭和12年/1937年11月号)
「悲恋みんみん物語」(『週刊朝日』昭和12年/1937年秋の大衆読物号[11月])
など
該当期の作品 「ポカピカン」(『新青年』昭和13年/1938年1月号)
「口禍口福」(『オール讀物』昭和13年/1938年2月号)
「唖にされた音盤」(『オール讀物』昭和13年/1938年3月号)
「習字とラヴレター」(『日の出』昭和13年/1938年4月号)/小咄
「江戸繁昌記」(『新青年』昭和13年/1938年5月号)/読物
「鉛筆とオルガン」(『オール讀物』昭和13年/1938年6月臨時増刊号)
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「九字を切る」(『文藝讀物』昭和24年/1949年2月号)その他媒体・作品情報
書誌 平成21年/2009年11月・清流出版刊『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』所収
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