選評の概要
21. 22. 23. 24. 25.26. 27. 28. 29. 30.
31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54.
生没年月日【注】 | 明治30年/1897年5月6日~昭和44年/1969年10月31日 | |
在任期間 | 第21回~第54回(通算17年・34回) | |
在任年齢 | 52歳1ヶ月~68歳7ヶ月 | |
経歴 | 本名=林髞(ハヤシ・タカシ)。山梨県甲府市生まれ。慶応義塾大学医学部卒。 | |
受賞歴・候補歴 |
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処女作 | 「網膜脈視症」(『新青年』昭和9年/1934年11月号) | |
個人全集 | 『木々高太郎全集』全6巻(昭和45年/1970年10月~昭和46年/1971年3月・朝日新聞社刊) | |
直木賞候補歴 | 第3回候補 昭和11年/1936年上半期 業績全般 第4回受賞 『人生の阿呆』(昭和11年/1936年7月・版画荘刊)その他 |
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サイト内リンク | ▼小研究-ミステリーと直木賞 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 木々高太郎 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
柴田錬三郎 | 34歳 |
◎ | 20 | 「怪奇的のものを強く注目すると、直木賞に入れて、賞の声価を恥かしめぬと主張したのである。」「ところが、これに圧倒的な否定を投げたのが小島政二郎で、「デスマスクは虚構の露呈されたものだ。(引用者中略)」という。」 |
松本清張 | 41歳 |
○ | 17 | 「この人はこの一篇だけ見ても十分に前途を期待することが出来る。「オール讀物」でも、書かせてみて、育ててやって欲しい人の一人である。」 |
39歳 |
□ | 42 | 「直木賞を貰う十分な資格があることは認める。然し、これだけでは困る。何か、もうひとつあった方がよい。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年1月号再録(初出:『オール讀物』昭和26年/1951年10月号) |
選考委員 木々高太郎 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
42歳 |
◎ | 13 | 「躊躇なく僕は一票を投ずる。」「まだ商売人のように高をくくったところの少しもない、聞くと新聞社には長いという話だが、すれていない作品の人柄をも感じさせる。」 | |
中村八朗 | 40歳 |
○ | 15 | 「今度は推し度いと思ったが、井伏鱒二が文章の疎漏なところをあげたり、小島政二郎が、この程度以上にかける作家だと見極めがつかないような意見をのべたので、僕の戦いは負けた。」 |
39歳 |
□ | 12 | 「僕達の一番欲しいものは大向うを考えない、意図はよろしいが自然にヒューマアなもので、何か一本抜いておいて、押しつけるものではない。」「どこか、もう一考して欲しいという心がのこった。」 | |
「前回の有馬頼義氏に味をしめて書き下ろし単行本は勿論のこと、その年までに書きためて単行本として出たものゝうちも物色するという、何となしに新らしいやり方もあったので、それは僕としてはよかったと思っている。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年3月号再録(初出:『オール讀物』昭和30年/1955年4月号) |
選考委員 木々高太郎 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
藤井千鶴子 | 47歳 |
◎ | 13 | 「異常さ、それにもかゝわらず詩にあふれているのは、新らしい外の作家にないと思ったが、委員会ではそれが却ってとりあげられないもとになったのではないかと思われる。」 |
有吉佐和子 | 26歳 |
◎ | 13 | 「思うつぼに書けすぎていて、興味をそいだという批評には賛成だが、結局もう力倆も十分認められているから受賞の対象とはならぬという意見には、私は個人としては異議があった。」 |
35歳 |
□ | 29 | 「戦争もので、その意味では僕は賛成ではなかったが、よく書けているし、この人はフィクションをつくる力も十分にある、」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和32年/1957年10月号 |
選考委員 木々高太郎 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
33歳 |
◎ | 12 | 「最高点を出すつもりで出た。文章がしっかりしているし、人物もよくかけている。たゞ一つ気に入らぬことがあるとすれば一種の成功物語のように見える点である。」 | |
福本和也 | 29歳 |
○ | 7 | 「私の比較的同情を持ったものは「K7高地」(福本和也)と「水の壁」(北川荘平)の二本であった。」「これは引き出して大いに書かせたい。」 |
北川荘平 | 27歳 |
○ | 7 | 「私の比較的同情を持ったものは「K7高地」(福本和也)と「水の壁」(北川荘平)の二本であった。」「これは引き出して大いに書かせたい。」 |
45歳 |
□ | 8 | 「相当の作であるが、私は戦争小説は嫌いだ、という理由で、初めから点を入れなかった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和33年/1958年10月号 |
選考委員 木々高太郎 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 11 | 「僕には読みにくい書き方だった。然しその構成力と言い、新しい観点と言い、これが第一候補になるについて不服はない、と考えて委員会に出た。」 | |
44歳 |
○ | 24 | 「戸板康二を、心の一方でおしていながらふみ切れない状態で委員会へ出たのは、今度の候補作品「団十郎切腹事件」が気に入らなかったためであることが、あとで自分で判った。」「特に「団十郎切腹事件」その他(傍点)ということに改めて貰えば、この作者を第一におしてよいと発言したら、それは賛成者が多かった。」 | |
杉森久英 | 47歳 |
○ | 25 | 「よみ易い明るい文章であり、またユーモア小説としても、将来のある作家だと考えた」「何しろ主題として「野球」である。(引用者中略)その主題をとったのが不幸で、全く別のもっと珍しい生活でのユーモアならよかったと思う。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和35年/1960年4月号 |
選考委員 木々高太郎 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
50歳 |
◎ | 35 | 「杉森は伝記を書いたのではなく、一つの小説を書いたのであり、而も、今までの人が試みなかった小説のジャンルをつくったとも言える。」「もてはやされると九天の高さ、おちると奈落の底という、われ等共通の文学に生きるものの運命を感ぜしめるスリルは、むしろ快いばかりである。」 | |
来水明子 | 30歳 |
○ | 20 | 「今度の「涼月記」は、ずっとよみよかった。」「とに角明智光秀をこのように解釈した人を、僕はまだ知らぬ。」「この作者の長篇一本でゆく逞しさも僕は買っている。」 |
「候補作品は全部よんで、文書で答申した。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和37年/1962年10月号 |