選評の概要
39. 40.41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68. 69. 70.
71. 72. 73. 74. 75.
76. 77. 78. 79. 80.
81. 82. 83. 84. 85.
86. 87. 88. 89. 90.
91. 92.
生没年月日【注】 | 明治45年/1912年4月19日~昭和60年/1985年9月12日 | |
在任期間 | 第39回~第92回(通算27年・54回) | |
在任年齢 | 46歳2ヶ月~72歳8ヶ月 | |
経歴 | 本名=田中富雄。富山県生まれ。富山商業学校卒。 | |
受賞歴・候補歴 |
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サブサイトリンク | ||
処女作 | 「村の代表選手」(昭和9年/1934年) | |
直木賞候補歴 | 第23回候補 「随行さん」(『オール讀物』昭和25年/1950年6月号) 第24回候補 「木石に非ず」(『週刊朝日』昭和25年/1950年秋季増刊号[8月5日]) 第25回受賞 「英語屋さん」(『週刊朝日』昭和26年/1951年夏季増刊号[6月10日])その他 |
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サイト内リンク | ▼直木賞受賞作全作読破への道Part5 |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 源氏鶏太 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
草川俊 | 43歳 |
◎ | 9 | 「構成その他に、多少の難があるが、重厚な味があって、しかも、登場人物が描きわけられていて、面白かった。」 |
棟田博 | 48歳 |
◎ | 14 | 「人間の運命が、戦時を中心にして、過去、現在、未来にわたり、文字通り、生と死の間に描かれていて、戦争文学というと、徒らに反戦的な作品の多い中で、異色の作と思った。」 |
多岐川恭 | 38歳 |
○ | 8 | 「推理小説としてでなく、普通の文学作品として読んで、悪くなかった。」 |
45歳 |
△ | 6 | 「かりに、「赤い雪」が選ばれなかったとしたら、私にとって、ひどく、後味の悪いものになったであろう。」 | |
33歳 |
・ | 3 | ||
選評出典:『オール讀物』昭和33年/1958年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
野口冨士男 | 47歳 |
◎ | 12 | 「最も推した。」「山陰地方の雨の季節のいんうつさが、この作品で、見事に生かされていた。登場人物も、それぞれ、個性があって、申し分がない。とにかく、うまい。」 |
深田祐介 | 27歳 |
○ | 6 | 「読んでいて、たのしかった。」「が、作者の今後に期待する意味で、残された。」 |
39歳 |
□ | 7 | 「前回の候補作「氷柱」の方がいい。」「私は「氷柱」を記憶していたので、最後の決戦投票には、これに投じた。」 | |
31歳 |
△ | 6 | 「文句なしに面白かった。が、この面白さに、私は、一抹の疑義を感じたので、積極的に推すことをためらった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和34年/1959年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
◎ | 15 | 「候補作品の中で抜群のように思った。」「人間の生涯ということについて、あらためて考えさせられる。」「敢て、この作品を推したのは、直木賞を得ることによって、この作品は、永く光りを失わないだろうと思い、そうなってほしかったからである。」 | |
池波正太郎 | 36歳 |
○ | 7 | 「この小説の主人公には魅力があり、そのように爽やかに描かれてあり、人間の裏と表が、嫌味なく描かれてあり、直木賞には落ちたが、私は、それを惜しいと思っている。」 |
27歳 |
● | 4 | 「うまいけれども、人情話に終っているように思われた。どこか古風で、若い作家らしくない。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和34年/1959年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
黒岩重吾 | 36歳 |
◎ | 12 | 「いちばんよかったように思う。」「登場人物の一人一人が魅力あるように描かれていて、推理小説でありながら再読に値いする。伏線の張り方も見事だし、殺人の必然性も感じられる。」 |
北川荘平 | 29歳 |
○ | 11 | 「一種のサラリーマン小説であり、同じくサラリーマン小説を書く私が面白かったのだが、他の選者には面白くなかったようだ。」 |
佐野洋 | 32歳 |
○ | 6 | 「私には面白かったのだ。その面白さとは、推理小説でありながら、すうっと入っていけるところにあったのだが、賛成者がすくなかった。」 |
37歳 |
△ | 4 | 「この人の過去に、もっといい作品があった。一種の努力賞であろう。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和35年/1960年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
野村尚吾 | 50歳 |
◎ | 14 | 「多少パンチに欠けるうらみもあるが、歴史上でも有名な詩人たちの姿を、作者の有情の目を以て描いて、そこに人生というものをいろいろと考えさせてくれる」「今でも佳作である、と信じている。」 |
金子明彦 | 35歳 |
○ | 5 | 「私は、相当高く買った。最後の「無罪の意である」との一語が、この残酷物語をぐっと引きしめている。」 |
50歳 |
□ | 11 | 「島田清次郎を刻明に調べた努力には敬服した。」「伝記としては上等であっても、小説としては、どうであろうか。」 | |
「今回は、授賞作品なしということになるのではないか、と思った。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和37年/1962年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 13 | 「こんどはこれだな、と思った。堂々たる労作であり、個々の人物の描き方も優れている。」「今後、省略ということを頭に入れて書いたら、印象が更に鮮やかになりそうに思った。」 | |
36歳 |
○ | 10 | 「新鮮さを感じた。」「私は、小説というよりも、気の利いた随筆として読んだ。こういう才能が、今後どのように展開していくか興味がある。」 | |
笹沢左保 | 32歳 |
○ | 9 | 「私は、高点をつけた。格調の高い好短篇になっていると思ったからである。が、笹沢氏は、あまりにも有名になり過ぎていて、それで損をしたようなところもないでなかったようだ。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和38年/1963年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 53歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
49歳 |
◎ | 14 | 「いわゆるユーモアとペーソスがあって、多少甘い。選考会の席上、この甘さが問題になった。しかし、私は、この程度の甘さこそ必要なのであると思っている。幕切れも読者を十分に満足させるに違いない。」「勿論、この作者は、やがてこの境地を突き抜けて、もっと強い世界へ出て行くだろう。」 | |
柴田道司 | (54歳) |
○ | 8 | 「(引用者注:「虹」の)次に私が感心した」「作者の力量を十分に見た。」「一所懸命に書いてあるのが気持よい。しかし、過去の直木賞作品に匹敵するところまでは、まだいっていないようである。」 |
三好文夫 | 35歳 |
○ | 8 | 「(引用者注:「虹」の)次に私が感心した」「作者の力量を十分に見た。」「一所懸命に書いてあるのが気持よい。しかし、過去の直木賞作品に匹敵するところまでは、まだいっていないようである。」 |
「読者に軽蔑されぬ面白さを作品の中に盛り込むことは難かしいに違いないだろうが、直木賞作品は、そうであって貰いたいのである。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
五木寛之 | 33歳 |
◎ | 13 | 「私は、その新鮮さと才能について、五木寛之氏の「さらば、モスクワ愚連隊」を推したかった。」「勿論、この一作だけなら推さなかったろう。が、その第二作も読んで感心しているので間違いのない作家だと信じたのである。」 |
井出孫六 | 34歳 |
○ | 4 | 「席上あまり問題にされなかったが、私は、作者の眼を感じ、これはこれでよいと思った。」 |
40歳 |
△ | 21 | 「この人の力量からいえば、今まで受賞していなかったことが不思議なくらいである。ただ、こんどの作品についてもいえることだが、この作品の面白さは、果して直木賞的であろうか、という疑問である。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和41年/1966年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 11 | 「今回の二作については文句のつけようがなかった。」「私の感じからいうと今回の授賞は、はじめから野坂氏に決っていたような雰囲気であった。」 | |
37歳 |
○ | 17 | 「今がちょうど授賞の潮どきであり、」「一種の風格がそなわって来て、従来の推理小説から抜け出る意欲が見えているし、現代風俗を巧みにとらえている。」 | |
早乙女貢 | 42歳 |
○ | 15 | 「前々回の候補作より非常な進歩である。」「登場人物も生きているし、一種の推理小説めいた興味も感じられた。」「が、この作家の今後に希望したいことは、もっと読みやすく、ということでなかろうか。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
宮原昭夫 | 35歳 |
◎ | 13 | 「最も感心した。なかなかの才筆で、読んでいて何回か声を出して笑った。」「ここには独特の世界があって、それはまぎれもなく小説の世界である。」「最後まで推したのは中山さんと私だけだった。今でも自分が間違っていなかったと思っている。」 |
井上武彦 | (43歳) |
○ | 7 | 「一種の感動をもって読んだ。特殊潜航艇に乗せられる二人とその周囲の人人の心理の過程が、しつっこいと思われるほど克明に描いてあり、読者の胸を打つものがこの作品の中にある。」 |
「今回は概してレベルが低いという声が多かったけれども、私は、それほどに思っていなかった。ただ直木賞の場合、ある程度の実績が必要であり、最後にしぼられた二、三人には、それが欠けているうらみもあったことが、授賞作なしと決定された一つの原因になっているのではないかと思ったりしている。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
44歳 |
○ | 8 | 「(引用者注:二作授賞に)堂堂と二本、という意味で積極的に賛成した。」「終始興味深く読んだ。すでにベテランの味である。が強いて難をいえば、読み終ってからこのテーマは、それほど目新しいものでないと思わせられたことであろうか。」 | |
43歳 |
○ | 10 | 「(引用者注:二作授賞に)堂堂と二本、という意味で積極的に賛成した。」「長い間、懸命に茨の道を歩こうと努力して来て、それが見事に花を開いた感がある。以前に比較して、よほど読みやすくなったのも文章の苦心をしたせいのようだ。」 | |
原田八束 | 47歳 |
○ | 5 | 「雄大で、詩情の豊かな作品である。私は、好感をいだいたが、西域物でない作品を見たいとの声が強かった。」 |
「選考委員会では最終的に早乙女氏と陳氏にしぼられた。二人にするか一人にするかで論議されたが、殆んど全員一致で二人にということに決った。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和44年/1969年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
◎ | 10 | 「上質のユウモア(引用者中略)を高く評価していたので、そのことを主張した。」「もう一人前の作家になっているという感じで、これを機に一段の飛躍が期待される。」 | |
藤本義一 | 36歳 |
◎ | 10 | 「構成力を高く評価していたので、そのことを主張した。」「描写が柔軟なのがいい。力まないで全力投球をしているといった感じである。今も授賞に値いするのではなかったのか、と思っている。」 |
阿部牧郎 | 35歳 |
○ | 8 | 「感心して読んだ。殊に前半がよかった。」「元海軍兵学校生徒の戦死を狙って果さぬ幕切れのあたりが爽やかである。」 |
「こんどはずば抜けた作品がなく、そのために授賞作なしという話も出たほどであった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和44年/1969年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
木野工 | 51歳 |
◎ | 16 | 「もし授賞作を選ぶとすれば、「自動巻時計の一日」と「襤褸」のどちらか、であろうと思って選考会に出席した」「今でも「襤褸」が惜しかったと思っている。」「必ずしも器用でないし、省略すべき点もいろいろあるが、全身をぶっつけるようにして書いてある。濃度がある。」 |
田中小実昌 | 46歳 |
○ | 12 | 「もし授賞作を選ぶとすれば、「自動巻時計の一日」と「襤褸」のどちらか、であろうと思って選考会に出席した」「ユーモアがあって、ある種の才能をはっきりと感じさせる作品であるが、田中小実昌氏の本来の才能は、もっと別のところにあったように思う。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
阿部牧郎 | 38歳 |
◎ | 5 | 「高く評価して出席したのだが大方の賛同を得られなくて残念であった。これはちゃんとした小説だし、殊に最後が印象的であった。」 |
筒井康隆 | 37歳 |
○ | 4 | 「テレパスを通じて人間の醜悪な面がよく現われていた。「亡母渇仰」と「日曜画家」には感心した。」 |
47歳 |
△ | 8 | 「重厚な力作であった。」「ただ私にはいちばん凄い筈の最後の自分の弟を斬るところに嘘が感じられた。」 | |
37歳 |
△ | 7 | 「面白いがもっと面白くなっていい作品という気がした。」「栄次郎の人間がうまく出ていない。いつもの軽妙さが欲しかった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
赤江瀑 | 40歳 |
◎ | 10 | 「二回読んで、二回目の方が面白かったという力作であった。」「私は、この作品を最有力候補の一つとして考えていたのだが、それを力説する前の段階で、他の委員にその気のないことを思い知らされてしまった。」 |
38歳 |
○ | 18 | 「近頃、こういうきっちりと、しかも、余分の物を省いて書いてある小説は珍しくなっている。この小説の成功は、津軽方言を見事に活かしたユウモアにあろう。そのくせ、題材は決して明るくはないのだが、ちゃんと「花」をそなえていた。」 | |
45歳 |
△ | 19 | 「この一作よりも過去の実績を買われたと見るべきであろう。藤沢氏の小説は、たいてい安心して読むことが出来る。しかし、その反面、どの作品も額縁にはまったような印象をあたえていた。」「今度は、もっと八方破れに書いて、新しい魅力を出して貰いたい」 | |
「今回の選考委員会の雰囲気は、前回が授賞作無しであったせいか、始めから授賞作を出そうという気配が流れていたようだ。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和48年/1973年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
植草圭之助 | 63歳 |
◎ | 18 | 「その後、選考委員会のあった夜のことを思い出して、どうしてもっと「冬の花」について強くいわなかったのだと残念に思っている。」「植草氏にとっての不幸は、第一作であること、一生に一度の大経験を書いたのだから、ということであったろう。私は、清冽な恋愛小説として読み、今もその印象が深く残っている。」 |
戸部新十郎 | 47歳 |
○ | 7 | 「私は、高い点をつけた。が、他の人物が比較的よく描けているのに、肝腎の主人公は、頭の中ででっち上げた人物になっていて、終始、それに振りまわされている感じである。」 |
安達征一郎 | 47歳 |
○ | 5 | 「凄い小説だと思った。特にラストが凄い。あるいは芥川賞向きであったのだろうか。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和49年/1974年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
41歳 |
◎ | 19 | 「ちょっと達者過ぎないかと思われるほど、世にも凄じい落語家の話が次から次へと描かれていて、強いての欲をいえば、多少の余裕がほしかった。」「明治の末頃の大阪での「芸」の意味について司馬遼太郎氏からの詳しい説明があって、私は、更に「鬼の詩」を高く評価する気になった。」 | |
白石一郎 | 42歳 |
○ | 6 | 「私には面白かった。大友宗麟について、よくここまでまとめて描いたと思ったのだが、それについての反対意見がすくなくなかった。」 |
素九鬼子 | 37歳 |
○ | 5 | 「私の好きな作品であった。このままで忘れ去られるには惜しい作品と、今でも思っている。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和49年/1974年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
43歳 |
◎ | 8 | 「よく調べてあって、それが実っている。ただ、私なりに納得しがたいところがあったり、どこかに無理が感じられたが、しかし、明治の初期の怖さがよく出ていて、積極的に推した。」 | |
栗山良八郎 | (46歳) |
○ | 14 | 「今でも候補作品七篇のうち最も強く印象に残っている」「パンチの利いた短篇であった。」「海軍の下士官を描いた小説として残しておきたい作品であった。」 |
41歳 |
□ | 5 | 「今一つ積極的になれなかったのは、すでに実力十分の同氏に、もっといい作品で受賞して貰いたかったからである。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和50年/1975年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
宮尾登美子 | 50歳 |
○ | 19 | 「昭和初年の高知の花柳界の因習をこれでもかこれでもかとばかりに克明に描き、その間の人情を、更には薄幸な芸者が若くして死ぬまでを描いた力作であった。この作品を古風と評するのはたやすいが、しかし、だからこそ作者は敢て書く気になったのでなかろうか。」 |
皆川博子 | 47歳 |
○ | 13 | 「キリシタン弾圧の頃に、殉教者としてでなく、自らの意思で棄教し、そのために二重にも三重にも苦しみ、それに必死に堪えていく青年の行動が綿密に描いてあり、私の胸を打った。」 |
広瀬仁紀 | 45歳 |
○ | 13 | 「書きたいように奔放に書いてあって、面白く読ませる。しかし、この面白さは、私がこの時代のことをあまり知らないせいであって、他の委員には雑で平凡と感じられたのであろう。」 |
45歳 |
□ | 12 | 「授賞に反対だった訳ではない。終始、好意をもって読んだし、読了後の爽やかさも格別であった。」「ただ、芥川賞と直木賞の区別がある以上、すくなくとも直木賞的でないと、初めから別にしていた。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和52年/1977年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
古川薫 | 52歳 |
◎ | 13 | 「高点をつけて出席した。」「力作だし、よく調べて、丹念に仕上げてあった。ただ選考委員の中に仏像の解釈に異論が出たりして見送られることになった。」 |
高橋昌男 | 42歳 |
○ | 10 | 「高点をつけて出席した。」「よく出来た作品であるが、果して直木賞作品であろうかとの疑問を持った。」「欲をいえばもうすこしある種の華やかさが欲しかった。」 |
小関智弘 | 44歳 |
○ | 6 | 「題材はやや「巷塵」に似ているのだが、「巷塵」に欠けていたと思われる華やかさが漂うていて、登場人物もそれぞれ好感が持てた。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和53年/1978年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
52歳 |
○ | 14 | 「いわゆる芸道物語を超えていた。文章が女の感傷を色濃く出しているがこの作家の場合、寧ろ長所になっていた。」「今のままの描写はすでにこの作家の身についたものであろうし、それを押し通した方がいいのでなかろうか。」 | |
42歳 |
○ | 12 | 「まさに作者が自分の鉱脈をさぐりあてた感じである。こせこせしないでおおらかに描いていて、およそ「文学」とは無縁の作品を書いているようで、それなりに神経がゆきとどいていた。」「五木氏の、この作家は直木賞をあきらめたのでないか、そして、こういう作品が書けた、という意味の発言は印象に残った。」 | |
安達征一郎 | 52歳 |
○ | 8 | 「今でも惜しかったと思っている。各章が感動的で、男っぽく、しかも、海を見事に描いていた。ただ、前回授賞の「深重の海」も海がテーマになっていたので、その点で多少損をしていたようだ。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和54年/1979年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
40歳 |
◎ | 12 | 「マタギの世界を描いて、その人情、風習、環境をどうして調べたのかを感じさせない程、見事にとらえている。」「主人公が次第に成長して、まことに魅力ある人物となっていくところにも興味を感じた。独特の才能の持主として、嘱望される。」 | |
白石一郎 | 48歳 |
◎ | 10 | 「高点をつけた。」「高島秋帆の三男の数奇な運命を描いたものであるが、(引用者中略)飽かせずに読ませた。この人の実績から考えても授賞にしたかったのだが、大方の賛同を得られなかったのは残念であった。」 |
50歳 |
■ | 6 | 「何れも気が利いているが、私には感動が不足しているように思われた。しかし、他の選考委員の話を聞いているうちに納得するところがあった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和55年/1980年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
西村望 | 55歳 |
◎ | 8 | 「追う警官、逃げる脱獄囚の心理がよく描かれている。逃亡中のふっとした哀れさも出ていて、重厚な文学作品となっていた。私は、この作品を推した。」 |
深田祐介 | 49歳 |
○ | 8 | 「葉隠の話も出て来て、落ちついた筆で過不足なく描いてあった。各人物の描写も適確だったし、食中毒の場面もうまい。」 |
52歳 |
● | 11 | 「格調の高い文章で描かれているが、専門用語が多過ぎるのと、長過ぎるので、読み辛かった。戦争の場面にもまるで机上作戦のような感じを受けて、実感がなかった。敢えていえば、私は、この作品の授賞には消極的であった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和56年/1981年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
48歳 |
○ | 11 | 「文句なしに面白かった。」「戦中から戦後にかけての下町の人情、習俗が髣髴としてくる。ところどころに文章の乱れがあるが、それが却ってこの小説をより活かしているようであった。」 | |
胡桃沢耕史 | 56歳 |
○ | 6 | 「調査がゆきとどいていて、スリルがあり、主人公の生きざまが爽やかである。一切の感傷をおさえて描いてあるところもよかった。」 |
栗山良八郎 | (52歳) |
○ | 9 | 「調べて書いたのだと聞いて、いっそう感心した。私にもこれに近い経験があり、当時の恐怖感がよみがえった。この小説にはそういう実感がそなわっていて、しめくくりは感動的である。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和56年/1981年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
49歳 |
○ | 12 | 「海軍将校の花々しい死をのぞみながら機雷に取っ組み、その志を得ず、戦後まで生き延びて、甦る機雷に関係しなければならなかった男の生きざまが見事に描かれている。その死生観も十分に理解出来る。」 | |
西村望 | 56歳 |
○ | 4 | 「まことに厭な話であるが、そこに不思議な魅力がある。文章もうまいと思った。」 |
33歳 |
□ | 8 | 「何んとも面白くてうら悲しい小説であった。」「作者の才能を感じさせる。難をいえば、すこし軽い。尤も、この軽さは、作者の狙いであったようにも思える。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和57年/1982年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
胡桃沢耕史 | 57歳 |
◎ | 9 | 「まことに痛快な一種の冒険小説である。」「三人の登場人物とその家系といったようなものが、ブラジル移民の悲惨な歴史を背景にあざやかに描かれていた。私は、この作品に高点をつけた。」 |
51歳 |
○ | 13 | 「商社というものの凄じさもよく出ているし、(引用者中略)いろいろのエピソードをまじえながらここまでにまとめた力量は、大いに買われてよかろう。」 | |
白石一郎 | 50歳 |
○ | 7 | 「私としては好きな作品であった。最後の一行がぜんたいをしめくくって、よく活きている。」 |
42歳 |
△ | 7 | 「よく筆をおさえて、一人の女と三人の男たちの生態を浮きぼりにしている。たしかにうまい小説であるが、それだけで終っているようなところもなくはない。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和57年/1982年10月号 |
選考委員 源氏鶏太 71歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
55歳 |
○ | 8 | 「玉石混淆の嫌いもないではないが、それぞれ人生の一断面を鋭どく抉ぐっていて、各人物がよく活かされている。文章の省略が利いていて、それらが一層この作品集の効果をあげている。」 | |
54歳 |
○ | 11 | 「やや力み過ぎの感がないではなかったが、(引用者中略)文章にも張りがあり、申し分のない作品となっている。」 | |
連城三紀彦 | 36歳 |
○ | 8 | 「女の魔性とでもいうべきものを見事に描き上げている。どの作品にもそれぞれの味わいがあって申し分がなかったし、作者の力量の程を感じさせたのだが、他の委員の賛成が得られなかった。」 |
「今回は豊作だと思った。」「私は、二作を合わせて一本にしたとは思っていない。二作ともに捨て難い味があった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和59年/1984年4月号 |
選考委員 源氏鶏太 72歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 11 | 「新境地を見事に切りひらいた感じである。」「どの作品にも男の優しさがにじみ出ていて、この人生の機微をよく描き出している。私の好みからいうと、最も好評だった「恋文」にやや無理が感じられて、「私の叔父さん」が殊に秀逸だった。文句のない授賞であろう。」 | |
47歳 |
○ | 13 | 「読み始めて、何んともヘソのない小説のような気がしていたのだが、読み進むにつれて、ヘソが見えて来ただけでなしに、読み終って、爽やかな感動をおぼえた。ついでに書いておけば、この土地のことに詳しい黒岩重吾氏の強力な発言が授賞に役立っていた。」 | |
小林久三 | 48歳 |
○ | 4 | 「(引用者注:受賞二作の)次に面白かったのは、小林久三氏の「傾いた橋」であるが、残念ながら他の委員の賛同を得ることが出来なかった。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和59年/1984年10月号 |