生没年月日【注】 | 大正12年/1923年3月27日~平成8年/1996年9月29日 | |
在任期間 | 第76回~第96回(通算10.5年・21回) | |
在任年齢 | 53歳9ヶ月~63歳9ヶ月 | |
経歴 | 東京府北豊島郡(現・東京都豊島区)生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。出版社勤務後、フランス留学。帰国して、批評家、小説家となる。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『遠藤周作文学全集』全11巻(昭和50年/1975年2月~12月・新潮社刊) 『遠藤周作文学全集』全15巻(平成11年/1999年4月~平成12年/2000年7月・新潮社刊) |
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芥川賞候補歴 | 第33回受賞 「白い人」(『近代文學』昭和30年/1955年5月号、6月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 遠藤周作 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
43歳 |
◎ | 16 | 「真向から意見が二つに分れたところにこの作品の性格がある。私はこの作品を支持した。」「決して前衛的な小説ではない。」「耳で聞える声と眼に見えるものの描写しかない。にもかかわらず電話に反応する二人の白人の女のなまなましい嫉妬は、彼女たちの動きでなまなましく伝わってくる。」「いずれにしろ、この作者の資質を否定することはできない筈である。」 | |
小林信彦 | 44歳 |
○ | 3 | 「私は(引用者中略)次点としていたが、小林氏が既に作家活動を盛んにされていることから、対象外になった」 |
29歳 |
□ | 9 | 「授賞作になることに反対しなかった。ただ、この作品にはやや新人らしい独自の冒険がなく、安全な書きかたをしているのが多少、物足りなかった。(たとえばトシオが学生たちにからむ気持の描写などは、安全な書きかたであり、もっと複雑なものがあるような気がする)」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和52年/1977年9月号) |
選考委員 遠藤周作 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
中野孝次 | 53歳 |
○ | 15 | 「私の好意を持った(引用者中略)作品」「一人の職人の家庭に生れた少年のいわば成長小説ともいうべき作品で、おそらく今後も作者は続篇を書かれるだろうと思う。」「少年が父と違った生き方を選ぶそのクライマックスは今回の作品だけでは足りないと思った。」「だが私にとってはこの続篇を期待させるほど、手がたい、好ましい作品であったことを報告しておく。」 |
30歳 |
・ | 4 | 「授賞二作品については多くの評がこれからなされるだろう」 | |
30歳 |
・ | 4 | 「授賞二作品については多くの評がこれからなされるだろう」 | |
「授賞作が決った翌日、某新聞で今回の銓衡会は芥川賞の最近の「暴走」を避けるため、わざと地味な作品を選んだという記事がのっていた。」「しかし(少くとも私の知る限り)文学賞の銓衡会では授賞作を選ぶまで幾度も銓衡委員の自由で率直な意見の交換と討議があり、その結果、多数決、あるいは全委員の了承の上で授賞作のある、なしが決るのである。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和53年/1978年3月号) |
選考委員 遠藤周作 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
梅原稜子 | 41歳 |
○ | 7 | 「当選作にたいしてわずかの差で受賞できなかった」「やや古風だが、丁寧で観察が行きとどいて好感の持てる作品だった。それが受賞しえなかったのは、作品の持つ長所が逆に迫力のなさにもつながったためだが、運が悪かったとしか思えない。」 |
47歳 |
― | 0 | ||
37歳 |
― | 0 | ||
「受賞作二篇については各選衡委員が感想をのべるだろうから、屋上屋を架すことはやめて、残念ながら受賞しなかった作品の二つ、三つに少しだけふれておきたい。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十三巻』平成1年/1989年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和59年/1984年3月号) |
選考委員 遠藤周作 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
○ | 30 | 「他の候補作品より好感が持てた理由は三つある。」「ひとつは副人物の一人一人の描写が丁寧に書きこまれているということである。」「ふたつ目には彼女が非常に書きにくい人物をあえて中心においたことである。」「書きにくい人物をとに角ここまで書いた力を私はやはり認めたい。」「ただ、叔母がどうして自然という考えを自らの人生に受け入れたかはもう少し詳しく書いてほしかった。」 | |
李良枝 | 29歳 |
○ | 6 | 「荒けずりだが一気に読ませた」「必ずのびる作家である。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十三巻』平成1年/1989年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和60年/1985年3月号) |