選評の概要
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31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68.
生没年月日【注】 | 明治30年/1897年10月9日~昭和48年/1973年4月30日 | |
在任期間 | 第1回~第68回(通算38年・68回) | |
在任年齢 | 37歳8ヶ月~75歳2ヶ月 | |
経歴 | 本名=野尻清彦。 神奈川県生まれ。東京帝大政治学科卒。 教員、外務省勤務を経て、大正13年/1924年~昭和34年/1959年「鞍馬天狗」を連載。 活躍の場は、時代小説、現代小説、ノンフィクションと幅広い。 戦後まもなく東久邇宮内閣の内閣参与。 昭和21年/1946年から雑誌『苦楽』を主宰する。 代表作に、「ごろつき船」「乞食大将」「霧笛」「ドレフュース事件」などの小説や、 「若き日の信長」など戯曲、また未完に終わった「天皇の世紀」がある。 |
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受賞歴・候補歴 |
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下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 大佛次郎 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
西口克己 | 43歳 |
○ | 14 | 「第一部だけでよいのならと思って推したが、やはり、これが、ひっかかって選に漏れたのは已むを得ない。」 |
47歳 |
□ | 7 | 「独立独歩で、確実な作風を立てゝ来たひとである。」「ずっと厚味もあり落着いた作風が重んぜられてよい。「燈台鬼」は氏のものとして極上の作品ではない。」 | |
46歳 |
■ | 15 | 「ハイブロウで、大衆のものではない。」「今氏の文体は直木賞のものでない。もっと平易に、エッサンスだけ書いて読者に読み易くして下さい。」 | |
選評出典:『オール讀物』平成15年/2003年3月号再録(初出:『オール讀物』昭和31年/1956年10月号) |
選考委員 大佛次郎 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
津田信 | 35歳 |
◎ | 17 | 「私は最後まで「忍ケ丘」を支持した。」「質実で素朴な筆を私は愛した。」「この作、前半がややくどい、もっと墨をおしんで、短く、主題に入ったら、平明に人を惹付けたろうと思う。」 |
36歳 |
□ | 16 | 「私が好む作品でない。その私の好悪にかかわらず、この小説は力を持っていた。人間の描出も的確である。」「同じことを書いても別の言い方、書き方が、もっと表現を深くする、と信じる。」 | |
39歳 |
■ | 6 | 「批評もあって面白かった。ただ、平明を狙ったのか、安易な書き方になっているので、腰が浮いて、読んで抵抗がないのが、欠点である。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和36年/1961年4月号 |
選考委員 大佛次郎 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
来水明子 | 30歳 |
◎ | 25 | 「最初の予選通知に来水氏の「涼月記」が入っていなかったので、私から推して入れて貰った。他の作品に劣るものとは信じなかった。」「しかし、(引用者中略)他人に語らせて重ねて話を進めて行く展開の技法が、込み入り過ぎて読みづらくするのである。」 |
50歳 |
○ | 6 | 「面白かったし、直木賞になってよかった。小説だと考えなくともよい。(引用者中略)なまはんかに小説に作られたものは危険である。」 | |
野村尚吾 | 50歳 |
○ | 6 | 「「乱世詩人伝」も佳しとした。」「常套の文学語をなるべく避けた方がよいとは感じた。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和37年/1962年10月号 |
選考委員 大佛次郎 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
55歳 |
○ | 19 | 「フランスだけで愛読されて外国の読者では消化困難の町の匂いがついた作家がパリにあるように、「本牧亭」はひとりで自ら、匂う。」「私は前から安藤氏を新人だと思って見ていた。これからも新人であろう。」 | |
57歳 |
○ | 15 | 「心のこもった質実な作風で、直木賞のものに予想される表面華やかな過剰な垢がない。」「しっかりした建前で出て来る人間がそれぞれ、見えるようである。」 | |
野村尚吾 | 52歳 |
○ | 11 | 「少数の差で破れたのを残念に思った。」「今日もてはやされている意欲などない大衆小説とは比較にならず正しく誠実な心を打込んだ力作だからである。」 |
「都合悪しく出席できなかったので、これならば異存なしとする作品を列挙して送っておいた。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和39年/1964年4月号 |
選考委員 大佛次郎 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 10 | 「流水の如く透明で、まことに気持よかった。」「小篇ながら直木賞の世界に、純粋な水脈のあるのを感じさせて貰ったのを多とし、私は推賞した。」 | |
佐藤愛子 | 41歳 |
○ | 17 | 「デッサン骨格がしっかりして、正しい文体のある作品である。」「この作者の確実な筆は充分に推賞に値する。」「も少し、遊ぶことを覚えたら、とも思った。」 |
39歳 |
△ | 12 | 「自分が源実朝を書き鎌倉に年古く住み鎌倉の歴史に多少の興味を持っているので、平明だが淡いなと感じたところがあったとしても失礼ではなかろう。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年4月号 |
選考委員 大佛次郎 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
柴田道司 | (54歳) |
◎ | 29 | 「この一篇に感心した。」「描かれている人間に素朴な厚味があって、手ごたえが重かった。」「幾度か繰返して読んでも出ている人間たちの人間臭さにその度に深い微笑を味わい得ると思う。」「私は好きだった、優れた作品である。」 |
49歳 |
○ | 15 | 「貧困な子供たちを書いていて明るくのびのびとしている。」「あまり軽らかに上手に出来ているから、私はこれは現実を見ずに、作者が空想で想像したのかと疑った。あとで作者の経歴を見て新聞記者として、足を使っていたのを知り、よくここまで蒸溜して軽らかに透明にしたな、と感じた。」 | |
「今度はいつもになく佳いものが多く、下読みの方針が変ったのかと質問が出たくらいである。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和40年/1965年10月号 |
選考委員 大佛次郎 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
32歳 |
◎ | 11 | 「読むのに努力が要ったが、読み進んで見ると、爽やかで、きめもこまかく、好い気持であった。」「直木賞に選べばこれと思った。」 | |
古川洋三 | 55歳 |
○ | 8 | 「ドライな叙述に文学の真実を感じた。人間悪のうとましさについては、もとよりである。私はこの作の良さを認める。」 |
粂川光樹 | 33歳 |
○ | 9 | 「私の知らぬ不思議な新らしさがあり、こう言うソサイエティの日本人はこう言うものかと教えられ面白かった。」 |
44歳 |
△ | 10 | 「まだ省略をほどこして磨きがかかると信じた。」「やや微温な、ひとりよがり(作中人物)の甘さを感じた。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和41年/1966年4月号 |
選考委員 大佛次郎 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
谷川健一 | 44歳 |
◎ | 48 | 「私は「最後の攘夷党」を最後まで推した。」「主人公は、大楽源太郎のようであるが、これは真珠母のごときものであって、大楽を囲む多勢の人々、その時世に依る変質、つまり時代そのものが背景としてではなく主人公なのであって、この作品では、それがよく描けている」 |
40歳 |
□ | 4 | 「選ばれたのに不服はない。当然と見るが、私は「最後の攘夷党」を最後まで推した。」 | |
「過去に直木も私も、ある程度(加減をしながら)歴史物を新しくした。その上を行く新しい形の時代小説が出てよい時期と見ているのである。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和41年/1966年10月号 |
選考委員 大佛次郎 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
筒井康隆 | 33歳 |
◎ | 8 | 「面白いと思い推したが、味方してくれる者がなかった。これも垢のつかない透明な気品を持った小篇で成功している。」 |
37歳 |
○ | 24 | 「この装飾の多い文体で、裸の現実を襞深くつつんで、むごたらしさや、いやらしいものから決して目を背向けていない。」「作りごとでない力が、底に横たわって手強い。この作家の将来が楽しみである。」 | |
37歳 |
○ | 13 | 「不道徳なことも、こう純粋に透明に書くと美しく見えるのだ。」「やはり私には書けないものだと気づき、新鮮な風に吹かれる思いであった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年4月号 |
選考委員 大佛次郎 71歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
阪田寛夫 | 43歳 |
◎ | 19 | 「私には面白かった。」「現代風で明るく微笑を誘うエスプリを持っている。」「淡々と描いてあるが、こうまとまったのを読むと小説の肉体を持ったものと考えてよかった。」「小説に書かなかったところに、逆しまに素直に小説の効果を出したのである。直木賞にしてよいと私は思った。」 |
44歳 |
○ | 12 | 「政治的変動に揉まれながら流転する人間の姿が面白く、また変転を続ける時代そのものもよく生かしてあると思った。日本の作家が容易に持ち得ないのびのびと大まかな風格を、このひとは持っている。」 | |
43歳 |
○ | 16 | 「力作として第一等であった。」「空想でない後半の部分との間に、急な断層があって、異質の物をつないだような欠点はある」「事件よりも人間を書くのに成功している」 | |
浅田晃彦 | 53歳 |
○ | 3 | 「こう言う世界もあるかと面白く、筆致も鋭いのに感心した。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和44年/1969年4月号 |
選考委員 大佛次郎 73歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
50歳 |
○ | 13 | 「私小説に近いものとして惹きつけられていると、飛行機の墜落や満洲の悲惨な事件が不意に出て来た。筆者の経験だったとしても最初の一篇とはひどく調子が違って、嘘が出て来たような感銘を受けた。」「しかし力作でもあり、筆力ゆたかで、推薦を憚らなかった。」 | |
宮地佐一郎 | 46歳 |
○ | 23 | 「思いつきだけのものや書きなぐりの多い当世にこうした努力した作品こそ直木賞に値するものではないか、と思った。しかし、真面目過ぎて、ついて読むのに根気を要し、疲労を感じた。」「この作品は、直木賞には漏れても他のものよりも後まで残って、幸福なる少数の読者を見つけて行くだろう。作者はそれに安んずべきだし、もっと外の仕事、「小説」を書く気になっては、どうだろうか?」 |
選評出典:『オール讀物』昭和46年/1971年4月号 |
選考委員 大佛次郎 74歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
宮地佐一郎 | 47歳 |
○ | 16 | 「一番文章がよく(古いと言う声があった。私はそう信じない。いきいきとして的確で美しい性質を認めるべきである)、仕事の間口も広く、懸命すぎる硬いところが除かれれば、優れたものを幾らでも書けそうである。」 |
「今度は低調だと言うような声が耳に入ったが、私はそうは信じなかった。以前の直木賞の候補作品と言うと、読者を意識に置いて書いたもののような手ぬるさ、甘さがあった。最近になってその傾向が逆転して、読者を構わぬような作品が目立つ。」「粒の揃った候補作品が集まりながら、賞に該当するものなしとなった結果は、その故である。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年4月号 |