生没年月日【注】 | 明治42年/1909年3月6日~昭和63年/1988年12月25日 | |
在任期間 | 第55回~第74回(通算10年・20回) | |
在任年齢 | 57歳3ヶ月~66歳9ヶ月 | |
経歴 | 東京市牛込区生まれ。京都帝国大学文学部仏文科卒。在学中より河上徹太郎や中原中也と同人誌『白痴群』を創刊。卒業後は、帝国酸素に勤務。そのかたわら翻訳も行う。昭和19年/1944年に応召。戦後、帰国後に『俘虜記』を発表する。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『大岡昇平全集』全15巻(昭和48年/1973年10月~昭和50年/1975年8月・中央公論社刊) 『大岡昇平全集』全23巻・別巻(平成6年/1994年10月~平成15年/2003年8月・筑摩書房刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 大岡昇平 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
山崎柳子 | 43歳 |
◎ | 8 | 「推薦出来ると思った。」「結末、混血児の自殺の段取りも、少し説得的でない。しかし黒人の混血児童について、政治を表に出さず、問題を生活の中に解消して書き込んである点で、凡手ではない。」「私はこれを当選作にしてもよい、と思った」 |
なだいなだ | 37歳 |
○ | 10 | 「推薦出来ると思った。」「文体に才気があり、面白くすらすら読めた。「日本文学をぶっつぶせ」という主張に私はまったく賛成なので、その主張の下に雑誌を出そうとしている医学生の群れに、風俗的な興味があった。しかし最後に女主人公が、雑誌を出す基金にしてくれといって、五十万円を枕元において自殺する、というのはお粗末というほかはない。」 |
野島勝彦 | 30歳 |
○ | 8 | 「推薦出来ると思った。」「一番むずかしい主題を追求していて、作者の態度に好感が持てた。」「世代の異る女性の「胎」を網羅しているのが、滑稽な印象を与えて損をした。」 |
「(引用者注:私は)元来新人賞は要するにコンクールであるから、その期の最優秀作を選べばよいという意見である。ただ芥川賞が社会的権威があるから、受賞者のその後の経歴に影響するところが大きい。」「ある程度の水準に達していることが要求されるのではないか、と思っていた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和41年/1966年9月号) |
選考委員 大岡昇平 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
佐木隆三 | 30歳 |
◎ | 6 | 「特に欠点と目されるものがない。人間関係の扱方もしっかりしており、筆力がある。私はこの意味でこの作品を推したのだが、この題材は「北九州物」という言葉があるほど書き古されており、マカロニ・ウエスターンみたいな残酷物語の型が出来かかっている。」 |
34歳 |
□ | 10 | 「(引用者注:授賞は)順当の結果といえよう。」「十分に作者の力量を窺わせる作品である。」「ただ太平洋戦争が負けると判断して、何もしなかった旧軍人を想像することは私にはむずかしい。」「あの民族の激動期を抜いて、軍人の人間性が仮構されている点に不満であった。」 | |
「今期は二回或いは三回候補になった作家によい作品が多く、銓衡に手間取った。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和43年/1968年3月号) |
選考委員 大岡昇平 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
阿部昭 | 34歳 |
○ | 10 | 「私の採点で一番よかった」「「季刊藝術」秋号「大いなる日」と読み合わせると、延びようとする気配が感じられる。この作品で授賞してもよいのではないか、と考えていたが、結末が、主題との関連において必然性がなく、そこに欠点があった。」 |
「私は芥川賞に限らず、新人賞にはなるべく当選作を出すべきであるという意見で、いつもその方針で銓衡に当っている。しかしこんどはどうも該当作がないのではないか、という気がしていた。」「今回は「父もの」という言葉が出たくらい、父親と息子、その妻との三つ巴の関係を書いたものが多かった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和44年/1969年3月号) |
選考委員 大岡昇平 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
47歳 |
◎ | 14 | 「その清新な感受性と、作品の詩的な、もしくは音楽的な構成によって、現代の小説に新風をもたらしたといえる」「この構成力は詩人のそれであり、小説の世界を拡大し、多極化したといえる。詩人の視覚は現実に垂直に対するはずだが、戦中戦後の大連という世界が、十分の拡がりと厚みをもって浮き彫りされているのに感歎したのである。」 | |
李恢成 | 34歳 |
○ | 7 | 「全体的に未熟であるが、一種のみずみずしさが、その観察にも文章にも感じられ、新人賞にふさわしいと思った。日常的な生活上の些細事が、人物が朝鮮人国籍を持つという事実によって、にわかに緊張を持つのに驚歎した。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和45年/1970年3月号) |
選考委員 大岡昇平 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
金石範 | 44歳 |
○ | 12 | 「(引用者注:「黄色い娼婦」「渋面の祭」と共に)新鮮味があり、技巧もすぐれていて、どれが受賞してもおかしくない、と思われた。」「主題にも文体にもあいまいさはなく、デッサンがしっかりしている作品である。」「しかし現在の日本の「純文学」の基準では、この自然な物語性は直木賞にふさわしいということになるのである。」 |
森万紀子 | 36歳 |
○ | 16 | 「(引用者注:「万徳幽霊奇譚」「渋面の祭」と共に)新鮮味があり、技巧もすぐれていて、どれが受賞してもおかしくない、と思われた。」「この作者の持ち味の、人生と社会に対する独自な観点が、主人公を娼婦と設定して、一層直截な表現を得ていると私には思われた。」「一種の切迫感のある力作だが、一方やや肩に力が入りすぎた感じもある。」「しかしこの作家にはもう芥川賞は必要ないだろう。」 |
花輪莞爾 | 35歳 |
○ | 11 | 「(引用者注:「黄色い娼婦」「万徳幽霊奇譚」と共に)新鮮味があり、技巧もすぐれていて、どれが受賞してもおかしくない、と思われた。」「主題と文体の調和のとれた作品である。」「異色ある作品と、私には思われたが、極めて少数の支持しかなかった。」 |
「こん期は多彩でよい候補作が集ったと思った。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和46年/1971年9月号) |
選考委員 大岡昇平 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
38歳 |
○ | 11 | 「(引用者注:「鳥たちの河口」と)ほぼ同じぐらいの出来だと思っていた」「荒けずりだが、敗戦直後の満州の現実への視点がしっかりしている。」「この作品には氏の詩作の経験を思わすものを、見出さなかった。詩と散文を区別する方法意識は、詩人の側に生れるもんなんだなあ、というようなことを感じた。」 | |
野呂邦暢 | 35歳 |
○ | 11 | 「(引用者注:「鶸」と)ほぼ同じぐらいの出来だと思っていた」「よくできているが、少し道具立てが整いすぎている、という評があった。殊に最後に鷹に教われるところが、(引用者中略)物語の形が整っているということは、それを裏付ける感動が伴わない場合、欠点となることがある例だった。」 |
「こん期はこれといって際立った作品がなく、最初から票が破れて、私の経験した最もむずかしい銓衡となった。」「芥川賞は二作当選が三回続いている。そう二作当選を続けるのはうまくないという気分が委員全体にあって、それを主張すると、当選作なしになる可能性があった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年9月号) |
選考委員 大岡昇平 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
44歳 |
○ | 20 | 「今回は際立ってすぐれた作品がなく、素材の持つ力によって、最初から「祭りの場」に票が集まった。」「文章と表現の細部に、こなれていないところや、あいまいさがある、などの欠点があるため、採決となって、僅差当選となった。」「十四歳の少女だった被爆者が、三十年経って、その体験を小説に結晶させた努力と才能を私は評価したい。」 | |
中上健次 | 28歳 |
○ | 11 | 「面白かった。」「私としてはそろそろ授賞してもいい頃と思われ、「祭りの場」と共に二作授賞を考えていたのであるが、氏は二年の間にすでに流行作家になっている。悪達者の面もまた現われている、との観察があって、票が集まらなかった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和50年/1975年9月号) |