生没年月日【注】 | 明治33年/1900年1月25日~昭和61年/1986年10月7日 | |
在任期間 | 第57回~第78回(通算11年・22回) | |
在任年齢 | 67歳5ヶ月~77歳11ヶ月 | |
経歴 | 青森県生まれ。慶應義塾大学文学部国文科卒。 青森県・秋田県で教師を務めるかたわら、昭和2年/1927年に小説「海をみに行く」を発表。 昭和8年/1933年から『三田文学』に「若い人」を連載して高い評価を得る。 戦後「青い山脈」「石中先生行状記」などで流行作家に。 他の代表作に「丘は花ざかり」「陽のあたる坂道」「あじさいの歌」「光る海」など。 |
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受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『石坂洋次郎文庫』全20巻(新潮社) 『石坂洋次郎短編全集』全3巻(講談社) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 石坂洋次郎 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
○ | 10 | 「十点が満点で、(引用者中略)八点をつけ、(引用者中略)出席した。」「手慣れた書き方で、暴力団を追及する元刑事を描いた生島治郎「追いつめる」が(引用者中略)選ばれた。おめでとう。」 | |
中田浩作 | 29歳 |
○ | 17 | 「十点が満点で、(引用者中略)八点をつけ、(引用者中略)出席した。」「私自身は「ホタルの里」が好きだったが、(引用者中略)むしろ、あの青年教師を主人公にして描くべきではなかったかと思った。」 |
平井信作 | 54歳 |
○ | 12 | 「十点が満点で、(引用者中略)八点をつけ、(引用者中略)出席した。」「細かい文学的センスなどにこだわらず、体当りで題材にとり組んでいるのがいい。同郷人の平井君が今度の選に洩れたのは残念。」 |
「少し迷ったあげく、量にこだわらず、読んで自分がひかれた作品をひろい上げることにした。じっさいの審査会に出席してみると各審査員とも、質本位で作品を選んでいることが分ってホッとした。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和42年/1967年10月号 |
選考委員 石坂洋次郎 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
梶野豊三 | 48歳 |
◎ | 17 | 「最高点をつけた。十点満点の九点である。」「多彩な人物が登場し、アイデアが奇抜で新鮮、文章も軽快でたいへん面白かった。」 |
筒井康隆 | 33歳 |
○ | 12 | 「若い人向きの新しいアイデアの作品で、爆弾を抱えて土人がウロチョロしたり、ターザンが登場したり、奇抜で面白かった。私の採点は(引用者中略)八点。」 |
原田八束 | 47歳 |
○ | 18 | 「八点の成績。」「文章の格調が高く整っており、構成も緊密だと思ったが、それだけにまた、これは娯楽性の要素が大切な直木賞よりも、芥川賞向きの作品ではないのかしらんと思ったりした。」 |
「該当作品なしとする者六票、あった方がいいとする者五票、一票の差で今年は直木賞作品なしということに決定した。私は新人育成の意味で、直木賞作品があった方がいいという意見だったので、残念だった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和43年/1968年10月号 |
選考委員 石坂洋次郎 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
45歳 |
○ | 26 | 「「戦いすんで日が暮れて」が好きだった。小説ずれがしてない率直でユーモラスな文体が、暗くなる筈の題材を、陰翳に富んだ明るい作品に仕上げているのだ。」 | |
利根川裕 | 42歳 |
○ | 9 | 「私の好みでは、(引用者中略)「異邦人」の主人公ムルソーを少年にしたような「B少年の弁明」に心をひかれたが、賛成者は少なかった。」 |
「どの作品もそれぞれに面白く、私は入賞作品を決めかねて審査会に出席した。ただ、私の本心は、せっかく直木賞というものが存在するのだから、毎回ぜひ当選作品を出して、新人作家たちを励ます機会をつくるべきだということだった。」 | ||||
選評出典:『オール讀物』昭和44年/1969年10月号 |
選考委員 石坂洋次郎 72歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
難波利三 | 35歳 |
◎ | 9 | 「いいと思ったが、大佛さんと私が最後まで推薦しただけで、途中で脱落してしまった。」 |
47歳 |
○ | 20 | 「時勢の進展と共に、罪人の首を斬る自分の家業に自信を喪失していく主人公の心理は、小説の中でも新しい分野のものだと思った。」 | |
筒井康隆 | 37歳 |
○ | 22 | 「八景とも暗すぎるというので落ちてしまった。」「老人の私は、今夜の選者は九人だが、テレパスの七瀬(女主人公)が住みこんで「家族九景」を描いたら、明るい作品が出来るだろうかと、意地わるな空想をチラと走らせたりした。」 |
阿部牧郎 | 38歳 |
○ | 5 | 「下読みしながら、私は面白いと思った作品にマルじるしをつけていったが、(引用者中略)「残酷な蜜月」(引用者中略)などがそれだった。」 |
37歳 |
△ | 6 | 「私は江戸末期の戯作及び戯作者に興味をもたないので、達者に書いてあるが強くは推せなかった。」 | |
選評出典:『オール讀物』昭和47年/1972年10月号 |
選考委員 石坂洋次郎 75歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
難波利三 | 38歳 |
◎ | 20 | 「ラッパ手の力を士官の東条英機に認められ、東条が処刑されるまで、東条のその時々の立場に触れていることが、作品に特殊性を滲ませている。」「私は右の三作(引用者注:「ふれあい」「生麦一条」「天を突く喇叭」)を推したが、賛否半ばして、直木賞に選ばれず、残念だった。」 |
井口恵之 | 46歳 |
○ | 5 | 「私は右の三作(引用者注:「ふれあい」「生麦一条」「天を突く喇叭」)を推したが、賛否半ばして、直木賞に選ばれず、残念だった。」 |
武田八洲満 | 48歳 |
○ | 8 | 「私は右の三作(引用者注:「ふれあい」「生麦一条」「天を突く喇叭」)を推したが、賛否半ばして、直木賞に選ばれず、残念だった。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和50年/1975年10月号 |
選考委員 石坂洋次郎 75歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
38歳 |
◎ | 12 | 「ハンサムで頭のいい異質の犯罪者・榎津巌(最後は死刑になる)の行動がよく描かれており、私はこの作品にはじめから最高点をつけていたし、選考委員の多くもそうだったようで、まずは佐木隆三君おめでとう、と、いうところだ。」 | |
片岡義男 | 35歳 |
○ | 8 | 「高校生男女二人のアナーキーで感覚的な生活が描かれていて面白いと思ったが、作品としてシンが薄いのか支持者が少かった。」 |
沼田陽一 | 49歳 |
○ | 8 | 「犬舎に飼われている犬を中心に三つの物語が述べられてあり、私はそれぞれに面白いと思ったが、共鳴者が得られず、残念だった。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和51年/1976年4月号 |
選考委員 石坂洋次郎 77歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
松代達生 | 43歳 |
◎ | 23 | 「抜群に面白いと思ったが、会議の席上では下位の作品だということにされた。」「考え直してみると、私がこの作品にひきつけられたのは、まじめな勤人である夫は元・高校教師、堅実な主婦であるその妻はかつての教え子、健全な兄息子、不具者の二男、などという人物構成だったことによるもののようだ。」「私は大学を出てから、十三、四年間、東北地方の中等学校で教師を勤めていた。だから、理屈なしに「飛べない天使」にひきつけられたのであろう。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和52年/1977年10月号 |