芥川賞のすべて・のようなもの
第12回
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Last Update[H26]2014/6/20

櫻田常久
Sakurada Tsunehisa
生没年月日【注】 明治30年/1897年1月20日~昭和55年/1980年3月25日
受賞年齢 44歳0ヵ月
経歴 別筆名=桜宗太郎、並木宋之介。大阪府大阪市生まれ。東京帝国大学文学部独文科卒。在学中から同人誌で小説・戯曲の創作を発表。卒業後、日本大学にてドイツ文学教授、のち明治大学文学部講師を務める。昭和14年/1939年、木暮亮高木卓らの『作家精神』に参加。太平洋戦争後には、日本共産党に入党、日本民主主義文学同盟に参加。
受賞歴・候補歴
  • |予選候補| 第11回芥川賞(昭和15年/1940年上期)「薤露の章」並木宋之介名義
  • 第12回芥川賞(昭和15年/1940年下期)「平賀源内」
  • 第1回野間文芸奨励賞(昭和16年/1941年)『従軍タイピスト』
備考
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芥川賞 第11回予選候補(一般推薦)  一覧へ

かいろ しょう
薤露の 章」(『作家精神』昭和15年/1940年5月号)並木宋之介名義
媒体・作品情報
測定媒体 昭和16年/1941年7月・文藝春秋社刊『平賀源内』
印刷/発行年月日 印刷 昭和16年/1941年6月22日 発行 昭和16年/1941年7月2日
発行者等 発行者 江原謙三 印刷者 堀 修造 印刷所 大日本印刷株式会社榎町工場(東京市) 配給元 日本出版配給株式会社(東京市)
発行所 文藝春秋社(東京市)
装幀/装画等 装幀 鈴木朱雀
総ページ数 313 表記上の枚数 基本の文字組
(1ページ当り)
36字
×12行
×1段
本文ページ 5~66
(計62頁)
測定枚数 61
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書誌
>>初出時の筆名=桜宗太郎、同号「後記」に並木宋之介と改名した旨の記載あり
>>昭和16年/1941年7月・文藝春秋社刊『平賀源内』所収/櫻田常久名義
>>昭和49年/1974年4月・東邦出版社刊『山上憶良』所収/櫻田常久名義
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候補者 並木宋之介 男43歳
選考委員 評価 行数 評言
瀧井孝作
男46歳
0  
小島政二郎
男46歳
11 「支那の唐の時代を背景とし、支那の青年を主人公として、現代日本に対する批評的暗示が裏打ちされているところが、私の心を引いた。」「小説としては、「歌と門の盾」より出来がいい。唯私の好みから云うと、輪廓が整然としてず没骨的なのが、この種の小説として時代の水平線の彼方に毅然として聳える品位に欠けている憾みがある。」
室生犀星
男50歳
2 「「薤露の章」を読んで「歌と門の盾」を取らねばならぬことを作品自身から教えられた。」
佐藤春夫
男48歳
21 「はじめ相当に支持者があったという事であったが、これは白行簡の李〈女+圭〉伝の飜訳で、しかも訳文は原文に及ばぬものであるという説が行われて大きく評価を減じたというのであった。」「並木氏がこの話柄に賦与した作の精神は独自のものであり非常に間接に側面的にではあるが一種の文明批評やインテリの自己批判など現代の文学として作者の息づかいを感じさせるものが多いのだから、これを飜訳として捨て去ることは当らないという説を執って自分はこれを選外佳作にしてもらった。」
宇野浩二
男49歳
27 「第一回(引用者注:委員会)の時も、ちょっと問題になっていたが、「支那にこれとそっくりの話があるので、……」という意味の事を誰かが云ったので、「それでは」と云う事になって、候補作品から取り除くことになったと私は記憶している。」「(引用者注:「歌と門の盾」と比べて)幾らか増しではないかと考えた。」
川端康成
男41歳
5 「(引用者注:「歌と門の盾」よりも)面白いところもあった。古曲を聞くようだったが、尚新彩の流露が加われば、高木氏と共に教養と趣味のいい作風を見せてくれるかもしれない。」
菊池寛
男51歳
   
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和15年/1940年9月号)
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芥川賞 第12受賞  一覧へ

ひらがげんない
平賀源内」(『作家精神』昭和15年/1940年10月号)
媒体・作品情報
誌名 「作家精神」  別表記「作家
巻号 第5巻 第4号  別表記10月号
作品名 別表記 賀源
印刷/発行年月日 印刷 昭和15年/1940年9月25日 発行 昭和15年/1940年10月1日
発行者等 編輯兼発行人 菅藤高徳 印刷人 吉長三 印刷所 皎明社印刷所(東京市)
発行所 作家精神社(東京市)
総ページ数 96 表記上の枚数 基本の文字組
(1ページ当り)
53字
×19行
×1段
本文ページ 4~45
(計42頁)
測定枚数 90
上記のうち紫の太字はブラウザでの表示が困難な異体字(主に正字など)
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書誌
>>初出時の筆名=並木宋之介
>>『文藝春秋』昭和16年/1941年3月号
>>昭和16年/1941年7月・文藝春秋社刊『平賀源内』所収
>>昭和24年/1949年9月・小山書店刊『芥川賞全集 第4巻』所収
>>昭和46年/1971年12月・東邦出版社刊『平賀源内』所収
>>昭和51年/1976年☆月・東邦出版社刊『平賀源内』所収
>>昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊『芥川賞全集 第3巻』所収
>>平成6年/1994年8月・ぎょうせい刊『ふるさと文学館 第43巻 香川』所収
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候補者 櫻田常久 男44歳
選考委員 評価 行数 評言
佐藤春夫
男48歳
47 「感服した。」「まずその取材と、この特異な人物を独自な方法でよく消化した構想の妙に敬服した。それは作者自身がその面白さにいい気になってしまって若し一歩を誤ったとしたら、直木賞作品になってしまいそうな心配もないではないと思われる程のところを文学精神の高さによって救っていたのも好ましい(所謂大衆小説を必ずしも軽侮したつもりではない。念のため一言)」「平賀源内は所謂歴史小説でもなくまた描写至上の自然主義小説でもない。自分はこれを象徴的手法を持った一種の新らしい観念小説と見る者である。」
横光利一
男42歳
9 「材料の験べに適当な現代人の批評力もあり、描写力もあり、文章に格調もあって授賞作の品格を充分持った作品と思う。ただ私一個人の見解として、現代物に優秀な作品のあるときは、歴史物を第二とすべきであると主張している関係上、私は現代物の方を推賞した。」
室生犀星
男51歳
6 「歴史物として万遍なき道具立があり装いを凝らした作。」
小島政二郎
男46歳
11 「面白く読んだが、私は更生後の源内の生活に、あれ程科学狂だった彼の性癖が少しもにじみ出ていないのが物足りなかった。」「佐藤春夫も、川端康成も、更生後の源内の生活は、一つのシンボルとして見れば足りると云う説だったが、それはそうに違いないが、しかし小説である以上、私はやっぱり彼の性格の追究を求めたい。」
瀧井孝作
男46歳
14 「主人公の晩年、農村人として生き抜いたという、これは史実とみるよりも作者の創作のようにみえたが、この土の精神の力説は、佳い主題で、佳い小説に成っていると思った・描写の筆は分り易いが、味いは稍平板ではないか、猶活々とした血肉があれば申分ないがと思った。」「(引用者注:前回候補の)「薤露の章」は唐氏の伝奇小説李〈女+圭〉伝を換骨奪胎した歴史小説で、この作者が斯様に特異小説をつくる、その頭のはたらきが買われたわけだ、とぼくは思った。」
川端康成
男41歳
51 「「平賀源内」を推すとなると、私の気持ははっきりする。落ちつく。それには、それだけの力が、「平賀源内」という作品にあるものと、私は考えた。」「「崖」や「鶏」に比べて、「平賀源内」は遙かに欠点の多いことは、無論である。」「テエマと筋を知ってしまってから読むと、それを知る前に読むほどには、面白くないのである。」「「平賀源内」は歴史小説の形を借りた現代小説である。」「知識人の生き方について、一つの道を考えたとも言える。」「この主題に平賀源内を持って来たのは、作者の手柄である。」
宇野浩二
男49歳
43 「推す人が多かった。私もその一人である。」「「直耕の人でなければ、三度三度の食は遠慮しなければならん」という理窟を、簡潔な文章で、あまり理窟ばらずに、小説にしたものである。そうして、余り用いたくない言葉であるが、国策に向くように書いてある。そうして、なかなか面白い小説である。その代り、しかし、作り過ぎたところがある。」
佐佐木茂索
男46歳
9 「「平賀源内」か「崖」かと迷った。」「推す人が一番多い。私は躊躇なく賛成した。この作者の前作「薤露の章」が既に受賞者の一人たるに足る十分の力量を示していた。」
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年3月号)
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