選評の概要
76. 77. 78. 79. 80.81. 82. 83. 84. 85.
86. 87. 88. 89. 90.
91. 103. 104. 105.
106. 107. 108. 109. 110.
111. 112. 113. 114. 115.
116.
生没年月日【注】 | 昭和10年/1935年1月31日~令和5年/2023年3月3日 | |
在任期間 | 第76回~第91回、第103回~第116回(通算15年・30回) | |
在任年齢 | 41歳11ヶ月~49歳5ヶ月、55歳5ヶ月~61歳11ヶ月 | |
経歴 | 愛媛県喜多郡大瀬村(現・内子町)生まれ。東京大学文学部仏文科卒。大学在学中に『東大新聞』に小説が入選、作家デビューする。 | |
受賞歴・候補歴 |
|
|
サブサイトリンク | ||
個人全集 | 『大江健三郎全作品』第1期全6巻・第2期全6巻(昭和41年/1966年~昭和53年/1978年2月・新潮社刊) 『大江健三郎全作品』第1期全6巻・第2期全6巻(平成6年/1994年11月・新潮社刊) |
|
芥川賞候補歴 | 第38回候補 「死者の奢り」(『文學界』昭和32年/1957年8月号) 第38回参考作品 「他人の足」(『新潮』昭和32年/1957年8月号) 第39回受賞 「飼育」(『文學界』昭和33年/1958年1月号) 第39回候補 「鳩」(『文學界』昭和33年/1958年3月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 大江健三郎 43歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
青野聰 | 35歳 |
○ | 13 | 「中心の母親像も、それをとらえる子供自身の像も、面白さにおいて並はずれている。」「これはやはり実作者としての僕の、手さぐりの推測を出ぬが、この作者の素材の昇華のさせ方は、意識的な力をおおいにはたらかせていると思う。しかし、小説の読み手、書き手として経験の深い委員から、文章の実際に立った批判が出てくると、僕としてはその推測の根拠を示しえぬと気づく。」「しかし(引用者中略)次作への期待をいだかしめるに十分」 |
「今回は授賞作がなかったが、むしろ芥川賞を連続性で見ると、充実した銓衡会であったと思う。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和54年/1979年3月号) |
選考委員 大江健三郎 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
小関智弘 | 48歳 |
◎ | 9 | 「積極的に授賞したかった作品」「土地と生活と時代に根ざした強さ。」「一冊の本として直木賞をえられることを望みもするが、それは僕として越権した言葉だろう。」 |
上田真澄 | (25歳) |
◎ | 14 | 「積極的に授賞したかった作品」「ケストナーの『フアビアン』を思わせるモラリストのユーモアと悲哀。」「しかし経験豊かな選者たちに、(引用者中略)おさなさをいわれるとそうだとも思う。」 |
42歳 |
△ | 17 | 「僕はその受賞に、消極的に賛成する。つまり最後の投票で、僕は反対に一票を投じたが、多数派による授賞の決定には賛成する。すでに中年にいたって、自他の自閉的な狂気に接する(しかし正気の側の)感受性を、このように安定した書きぶりで表現できれば、その人はもう作家だ。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和56年/1981年9月号) |
選考委員 大江健三郎 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
島田雅彦 | 22歳 |
○ | 21 | 「ロシアの民俗とモダニスムのからみあった、この時期(引用者注:一九二〇年代ソヴィエト・ロシア)の小説には、イメージの超現実にあわせて「話法」の卓抜な面白さがある。」「『優しいサヨクのための嬉遊曲』は、その「話法」をつい昨日のこと(あるいは今日の昼前のこと)について、機敏に生かした小説づくりである。」「作者の「サヨク」の日常的観察には、軽薄なようでいて(若さゆえの勇み足と弛緩は当然にあるが)田中康夫には欠けていた、自前の認識力の芽をかいま見せるものがあろう。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十三巻』平成1年/1989年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和58年/1983年9月号) |
選考委員 大江健三郎 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
石黒達昌 | 32歳 |
○ | 5 | 「小説の技法として意図されたものと、そうでないものと、未熟な混交を表わしているが、「ハネネズミ」の発明、文体、細部こぞってもっとも刺戟的だった。」 |
37歳 |
△ | 15 | 「これまでの氏の力作と並び、創作意図は強くつらぬかれている。こうしてみれば、講談調にうわずる文体も粗雑な細部も、つまりは氏の個性なのだ。それを見きわめての、氏の剛腕への評価は、選考会でよく納得できた。したがって授賞に積極的な反対はしない。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十六巻』平成14年/2002年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成6年/1994年3月号) |