選評の概要
21. 22. 23. 24. 25.26. 27. 28. 29. 30.
31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68. 69. 70.
71. 72. 73. 74. 75.
76. 77. 78. 79. 80.
81. 82. 83. 84. 85.
86. 87. 88. 89. 90.
91. 92.
生没年月日【注】 | 明治37年/1904年11月22日~平成17年/2005年4月20日 | |
在任期間 | 第21回~第92回(通算36年・72回) | |
在任年齢 | 44歳7ヶ月~80歳1ヶ月 | |
経歴 | 三重県四日市市生まれ。早稲田大学文学部国文科卒。尾崎一雄らと同人誌『新正統派』を創刊、文筆の道に進む。戦後には舟橋聖一と並んで中間小説誌に精力的に作品を発表、流行作家となる。そのかたわら、同人誌『文學者』の中心的存在として後進作家の育成に尽力。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『丹羽文雄文学全集』全28巻(昭和49年/1974年4月~昭和51年/1976年8月・講談社刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 丹羽文雄 44歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
峰雪栄 | 32歳 |
◎ | 22 | 「「煩悩の果て」をまっこうから瀧井さんが否定したのには、私はびっくりした。」「芥川賞を一本にして強引に押し出すとすれば、峯雪栄だと私は思った。」「峯なら芥川賞として一人だけ発表したところで、決して恥しくないと思った」 |
24歳 |
□ | 6 | 「小谷は若くて、これからどんなものを書くか判らない。瀧井さんは、この作者は傲慢不遜だという意味のことを言ったが、かえってそのために私は支持したいのである。この小説には疵は多い。が、何よりもその将来性がたのもしい。」 | |
48歳 |
△ | 11 | 「烈しさはないが、「本の話」にはまた違った味がある。とりたてて良い作品とは言えないが、口を極めて悪口をいう作品でもない。」「私は別に「本の話」の由起しげ子に期待はかけていない。話がきまらないのでそうなったが、投票ということは、滑稽だ。」 | |
「芥川賞の枠をひろげたいというのが私ののぞみであった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和24年/1949年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
43歳 |
○ | 9 | 「私は最後に、(引用者中略)推した。」「文章もしっかりしていてこの人はもう出来上っている。」「ちょっと井上靖君に似た実力をたくわえている人だと思った。この小説は鴎外におんぶしていると私が評した。一方に鴎外のイメージを描いてこの小説をよむ場合と、無名の人間の過去をさがして読まれる小説の場合と、いずれがとくかという意味であった。」 | |
近藤啓太郎 | 32歳 |
○ | 7 | 「私は最後に、(引用者中略)推した。」「「飛魚」の方がよかったという人があったが、今度も漁師の生態が出てくる。(引用者中略)作品としては「黒南風」の方がはるかに秀れている。作者も成長している。」「むろん欠点もあるが、自然主義的だというので片付けられる作品ではないのだ。」 |
31歳 |
△ | 6 | 「決して悪い作品ではない。しかし受賞作品としては難がある。時代小説の童話と思えば納得できないこともないが、そこに現れる哲学にしろ決闘の場面にしろ、童話的な興味をおぼえるだけで、私にはそんなに深いものとは思えなかった。」 | |
「今度の受賞は意外な結果になったと私は驚いている。多数決という方法がそうさせた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和28年/1953年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 48歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
伊藤桂一 | 35歳 |
◎ | 8 | 「私は(引用者中略)推していたが、最後まで銓衡にのこったので満足だった。このまえの候補作品にくらべると、一段と精進のあとがみえた。」「通俗的な興味や構成の失敗はみとめられる。しかしこのひとの精進には信頼がおける。その意味で推したのだが、芥川賞としては十分な作品ではなかった。」 |
33歳 |
○ | 15 | 「「悪い仲間」より「陰気な愉しみ」の方を、私はとる。このひとの受賞は妥当であった。戦後にあらわれた作家のなかで、私にはこのひとほど才能のゆたかな、ユニークな作家を知らない。こういう作風はえてして借りものが多いのだが、このひとのは素質だ。」「このひと独自の才能がじっくり腰をおちつけ、己の才能を十二分につかうことが出来るようになった点では、今度の作品にしてはじめて言われることである。一作一作とよくなっていくのはたのもしい。」 | |
「今度の審査会の雰囲気は、いつになく活溌で、私にはおもしろかった。だんだんと調子が出てきたようである。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和28年/1953年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
広池秋子 | 34歳 |
◎ | 11 | 「私は(引用者中略)推したが、小粒なのが気になった。」「女の哀しさや、いく人かの女をあざやかに書き分けている。」「長篇にするべき題材であった。これだけでは惜しいのだ。異常な題材によりかかっているという評もあったが、別の解釈もあるわけだ。戦後今日までああした女を書いた小説は、箒ではくほどある。しかしいまだかつて「オンリー達」ほどにスッキリと書かれたことはなかった。この小説を三人の委員が推した。」 |
「今度はもしかしたら当選作がないのではないかという気が、候補作品を全部よんだときに感じた。案の定そうなった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和29年/1954年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
曾野綾子 | 22歳 |
◎ | 13 | 「断然光っている。」「新鮮な感覚であり、感度もユニークである。これは素質的のものではないか。」「そんなに天才じゃないですよ、丹羽君の好きな作品でしょうと川端さんは笑ったが、惚れこんだ私はすこしも後悔していない。」「瀧井、佐藤両氏も一応はみとめてはいた。が、この一作だけでは心細い、見送ると言うのである。私も時々は見送る場合はあるが、これは見送る必要はないと抗弁した。」 |
川上宗薫 | 30歳 |
○ | 5 | 「川上宗薫の「その掟」もよかった。」「なかなか勉強家である。勉強のあとがギザギザになって残っているところが気になったが、この人はこれからがたのしみである。」 |
30歳 |
△ | 15 | 「他に推薦作のない場合は、私も吉行の度々の候補作を出した功績に対して授賞ということに吝ではないが、曾野綾子がある以上、不賛成であった。ことに「薔薇」はみとめない。」 | |
「意見の合ったことのない石川達三と完全に同意見であったのは愉快であった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和29年/1954年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
39歳 |
◎ | 3 | 「授賞には文句はなかった」「芥川賞なるものに対する私の意見を撤回するとなれば、今回の場合は小島信夫君である。」 | |
赤木けい子 | 34歳 |
○ | 3 | 「私は多数人に読んでもらいたかった。欠点もあるが、読みごたえは十分にある作品である。」 |
33歳 |
△ | 4 | 「功労賞の意味だと私自身はひそかに考えて妥協した。庄野君には「プールサイド小景」よりももっと他にいいものがある。」 | |
「「野に遺賢あり」という一文を発表した私は、芥川賞には新人がほしいと申し出たのだったが、否定をされた。それだけに拘泥することはないという融通無碍な意見であった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和30年/1955年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 52歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
岡葉子 | 48歳 |
○ | 7 | 「褒めたのは、私と井上靖君だけであったが、それを芥川賞にどこまでも推すかとなると、躊躇せざるを得なかった。材料がいやらしいから嫌だといったひともあるが、それはあくまで個人的感情であって、この作の欠点ではない。奔放な作品だと思った。」「小説というもののもっとも素朴な面白さを持っている、いまどき珍しい小説である。」 |
「やはり授賞作品のなかったことは、淋しい。しかし、最後まで頑張りたい作品がなかったのだから致し方がない。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和32年/1957年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 53歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
27歳 |
◎ | 12 | 「私は推した」「今日の作品に欠けているものを「裸の王様」は力強く打ち出していた。やぼったいという人もあるかも知れない。が、やぼったく思われるような人間的な情熱を小馬鹿にして、知的ごまかしをやっている小説が多いのだ。」「欠点はある。最後の展覧会など書きすぎであった。」 | |
大江健三郎 | 22歳 |
○ | 6 | 「作品の出来ばえからいえば、(引用者中略・注:「裸の王様」より)「他人の足」の方がはるかに巧緻な短篇であった。」「「死者の奢り」は、最後まで落すに惜しい作品であったが、大江の二篇はいわばもっとも今日的な作品であった。」 |
「今回の審査会ほど難航を極めたのは珍しい。妥協性の強い私はしまいに二篇(引用者注:「裸の王様」と「死者の奢り」)を芥川賞にと言い出したものだが、互に一篇を主張する人が多くて、容易にまとまらず、ついに数で決定をみることになった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和33年/1958年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
坂口䙥子 | 46歳 |
◎ | 11 | 「一位」「私と蕃婦ハツエの話の中でこれだけロポウを描き出した技巧は、大したものである。霧社事件のことだが、すこしも古く感じさせなかった。」「物語は低調になりやすいものだが、人間の哀しさがしみじみと感じられた。」「「忍ぶ川」にくらべて新しいともいえる。」「二、三の審査員も一位に推していた。」 |
29歳 |
○ | 5 | 「私は第二位に置いていた。」「上手な小説である。小説のコツをのみこんでいる。新しい感じはすこしもないが、気持のよい小説である。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
大森光章 | 38歳 |
◎ | 9 | 「読んでから時日が経つにつれて感銘がふかまってくるような作品である。説明の部分が多くて、ごたごたとしているが、一般の読者には未知の世界であり、ある程度の説明もやむをえなかったのかも知れない。」「ことに最後の種馬とされるあたりには、無情な、哀れな人間の生涯を思った。この作品に芥川賞をあたえてこそ、意義があるような気がした。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
吉村昭 | 34歳 |
◎ | 7 | 「この小説はよけいなことは一切書いていない。人間関係をあざやかに描いている。娘が急性肺炎で死ぬあたり、筆が足りないうらみがあったが、人間の執念をよくまとめあげてあると思った。腕のたしかな作家であるので、これまでの候補作品も考えて、推薦した。」 |
27歳 |
△ | 7 | 「その豊かな筆力は、ひとを驚かすに足る。筆が走りすぎて、文章が上すべりしているところがあるが、前回の「光りの飢え」に比較すれば、格段のちがいである。」「どんな風になっていくのか、私達とあんまり縁のないところへとび出していくような気がする。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和37年/1962年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
河野多恵子 | 36歳 |
◎ | 8 | 「前作「雪」にくらべると、格段の文章の上達がみとめられる。」「いまどきこれほど文章に神経を使う若い文学者は、他に例がないのではないか。へんな男も、三人の少女もあざやかに描き分けている。私はこれを当選作にきめていた。」 |
「選者の顔がちがっているように、各人の評がまちまちなのが、毎度のことながら私には面白かった。」「批評とは、自分ひとりの考えを、面白おかしく演出するだけのことらしい。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和38年/1963年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
津村節子 | 36歳 |
◎ | 16 | 「何でもない人物もあざやかにとらえている。ほろりとさせるが、決して低俗ではない。」「読後感は、すがすがしい。無理がない。悲壮感をむき出しにしていない。」「作者の素質はすばらしい――」「私は最大限のことばをもって芥川賞当選作と推薦したが、出席した審査員のことごとくが褒めていながら、結局、芥川賞としては小粒であり、弱いということで見送られた。」「落ちたことは残念であったが、この作者の素質に希望をつなぐことにした。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和40年/1965年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
長谷川修 | 39歳 |
◎ | 7 | 「奔放な、野放図なくらいの態度に私は心をうたれた。これを当選作として敢えて推したが、私自身の中の反撥心がそうさせたものであった。この小説には、夢がある。」「(引用者注:日本の文学は)絶望や虚無はお好きだが、人間が生きていく上には、もっと他の要素も大切であることが、この小説で教えられた。」 |
33歳 |
△ | 11 | 「こういう小説は当選しやすい作品である。もちろん良かったから当選したのだが、こういう作者の身の構えが、審査員の気に入るということは、作品のよし悪し以外に考え直してもよいことであろうと思った。」「審査員もこういう小説を当選させておけば、無難である。いいかえると、曲がなさすぎる。」「審査員のひとりとして考えねばならないことだと思った。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和41年/1966年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
後藤明生 | 36歳 |
○ | 4 | 「八篇の中で好きだったのは、(引用者中略)「S温泉からの報告」であった。井伏君に似たところがあると思ったが、そのユーモアなところは作者の本質的なものであることが判った。」 |
37歳 |
△ | 11 | 「気が利いたショッキングな作品だ。」「省略しすぎたせいか、前半の会話が下手な翻訳をよむようであったが、後半は水際立って巧みである。」 | |
42歳 |
△ | 2 | 「最近の三作の中ではいちばんよかった。その力量はすでに既成作家なみである。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和43年/1968年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
後藤明生 | 36歳 |
◎ | 15 | 「作風に異質なものを感じて興味があった。」「もやもやとした材料をもやもやとした筆で描いている。簡潔、的確をことさらに避けている。そのためそれなりに雰囲気をとらえ、そうした筆法でなければ描き上げられないものを描いていると思った。」「私はこれを当選作と推した」 |
「今回の候補作品は全体的に弱かった。が、興味のある作品がないわけではなかった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和44年/1969年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
33歳 |
◎ | 7 | 「ひさしぶりに新鮮な感銘を受けた。沖縄の日常語を大胆に駆使しているので、目新しい感じを受けたのであったが、新鮮と形容するのでは語弊があるかも知れない。」「濃厚な風俗性が単なる読物に落ちていない点がよろしい。」「二篇(引用者注:「オキナワの少年」と「玩具の兵隊」)を推した」 | |
加藤富夫 | 43歳 |
◎ | 6 | 「好短篇であった。好き嫌いはあるだろうが、作品としてはよくまとまっていた。私はこの作と「オキナワの少年」の二篇を推したが、投票の結果、〇・五点ちがいで、「砧をうつ女」に芥川賞を譲ることになった。」 |
36歳 |
△ | 7 | 「作品としてもうすこし整理をしてほしかった。」「欲をいえば、もらった作品でなしに、たとえば「伽倻子のために」「青丘の宿」「われら青春の途上にて」というような作品で堂々と受賞してもらいたかった。それだけが心残りであった。」 | |
「それぞれ読みやすくて、いつもより三、四篇も多かったが、少しも苦にならなかった。が、十篇とも妙に小粒であった。それに題のつけ方が拙劣であった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和47年/1972年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
津島佑子 | 26歳 |
◎ | 5 | 「「壜のなかの子ども」を候補作品八篇の中でマークして、審査場にのぞんだ。支持者が少なかったのでがっかりした。」「不具な子供を持った父親の屈折した気持がよく描かれていて、心に残るものがあった。」 |
青木八束 | 40歳 |
○ | 11 | 「(引用者注:野呂邦暢と共に)テレビ、ラジオの台本作家であることを審査場で初めて知った。」「最後の章は、じつによかった。」「小説だけを書いている人間には、とうていあの章は思いつかないものである。」「台本作者の成功であった。」 |
38歳 |
△ | 3 | 「二つ残った作品(引用者注:「鶸」と「鳥たちの河口」)の中から、より欠点の少ないものというので、(引用者中略)決定した。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
日野啓三 | 45歳 |
◎ | 30 | 「平林たい子文学賞と芥川賞の銓衡委員をかねている私は、今度の芥川賞銓衡に苦しい立場に置かれた。」「先ごろ平林賞をもらったばかりだからという委員があり、別のひとりは、平林賞につづいて芥川賞を贈るというのは、平林賞に追従したというふうに解釈されるおそれもあると言い出した。」「私は前作同様に内容の充実した、きめのこまかい作品だと思った。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和49年/1974年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
岩橋邦枝 | 40歳 |
○ | 25 | 「当選作を別にして、(引用者中略)興味をおぼえた。」「(引用者注:「掌の光景」と共に)女心を描いていた。単なる抒情的なものでなく、三十女の心情をえげつないほどに抉り出したものである。女というものの本性をこのように抉り出した作品は珍しい。」「文学的にはいろいろと難点を残しているが、倦怠期という概念で見すごしにせず、堂々とそれに挑んだのは、みごとである。」 |
梅原稜子 | 32歳 |
○ | 25 | 「当選作を別にして、(引用者中略)興味をおぼえた。」「(引用者注:「暮色の深まり」と共に)女心を描いていた。単なる抒情的なものでなく、三十女の心情をえげつないほどに抉り出したものである。女というものの本性をこのように抉り出した作品は珍しい。」「文学的にはいろいろと難点を残しているが、倦怠期という概念で見すごしにせず、堂々とそれに挑んだのは、みごとである。」 |
44歳 |
― | 0 | ||
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和50年/1975年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 72歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
小林信彦 | 44歳 |
○ | 11 | 「私の心を捉えた」「たれかが長篇の書出しのようだといったが、この作者の小説というものに対する構え方が私の気に入った。」「文学賞には、ある種の通弊がある。刺戟的な題材であることが、有力な条件となる。その意味では、(引用者中略)微力であった。当選を逸したが、悔いることはない作品だと思った。」 |
小沼燦 | 52歳 |
○ | 11 | 「私の心を捉えた」「私は女性とばかり思っていた。男性と知って、評価を変えなければならなかった。たれかが幼稚だといったが、幼稚などころではない。十分に小説の構成を心得ている。」「この作品が芥川賞になったところで、すこしもおかしくはない。」「まともに向って来る読者を軽くいなしたような印象をあたえたであろう。好短篇であった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和52年/1977年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 76歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
木崎さと子 | 41歳 |
◎ | 21 | 「高く買った。」「どっしりと腰のすわった、大人の小説であった。小説の構成などには神経質にならず、ごく自然に過去と現在をないまぜに描いている呼吸がひどく大人っぽい。その裏打ちとなっているのは、作者の年齢であり、体験であり、何よりも生活を感じさせることであった。」「木崎さんの才能は一応大人が安心して読めるだけのものを何か本質的に備えているようである。」 |
43歳 |
□ | 4 | 「主張があれば喧嘩になるというこの作者らしい小味な気持のよい作品であった。」「そういう作品も大切にされてよい。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和56年/1981年3月号) |
選考委員 丹羽文雄 76歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
木崎さと子 | 41歳 |
◎ | 19 | 「よいと思いました。」「いろんな女性のものをみてきましたが、その中でも木崎さと子さんは信頼の出来る作家のように思いました。」「出産という、何でもない材料(本人にとっては生死にかかわる重大事件でしょうが)を、女性でなければ書けないところをよくとらえています。満洲でなじんだ真赤な太陽の追憶も、出産にからめて思うとき、単なる感傷とはいいきれないものを感じさせました。」 |
42歳 |
■ | 3 | 「詩人としての繊細な感覚には心をひかれましたが、すこしごたごたしてます。もたついた分だけ、小説が弱くなっていると感じました。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和56年/1981年9月号) |
選考委員 丹羽文雄 79歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
干刈あがた | 41歳 |
◎ | 11 | 「時代のせいか若い人の書くものが、近頃方向ちがいの方向に進みつつある中で、まっとうに文学を感じさせる二作は、私には心強いものであった。私は十分に賞に値いすると思った」「私は最近これほど信用の出来る芥川賞の候補者にはめぐり合わなかったとさえ思っている。」 |
「大江健三郎君が芥川賞の選考委員を辞退した。」「あまり長く芥川賞の選考委員をつとめていると、己の創作活動に支障を来たすからという理由であった。」「私は大江君のように神経が過敏でないので、のんびりとこの長い年月の中の小説の変化を面白くたのしく眺めている。」「私にとっては、若返りの妙薬にもなっている。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十三巻』平成1年/1989年2月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和59年/1984年9月号) |