このページの情報は「芥川賞のすべて・のようなもの」内の「候補作家の群像 小泉譲」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 大正2年/1913年7月13日~平成16年/2004年8月19日 | |
経歴 | 本名=小泉一久。埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。 | |
受賞歴・候補歴 | ||
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「桑園地帯」(『上海文學』昭和18年/1943年春季作品[4月])
媒体・作品情報
上記のうち紫の太字はブラウザでの表示が困難な異体字(主に正字など)
書誌 昭和19年/1944年7月・大陸往来社刊『新風土』所収 |
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「死の盛粧」(『文藝讀物』昭和24年/1949年10・11月合併号)媒体・作品情報
上記のうち紫の太字はブラウザでの表示が困難な異体字(主に正字など)
書誌 昭和32年/1957年8月・朋文社刊『南支那海』所収 |
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「君が火の鳥」(『婦人倶楽部』昭和25年/1950年1月号~3月号)媒体・作品情報
上記のうち紫の太字はブラウザでの表示が困難な異体字(主に正字など)
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「南支那海」(『モダン日本』昭和25年/1950年3月号)媒体・作品情報
上記のうち紫の太字はブラウザでの表示が困難な異体字(主に正字など)
書誌 昭和32年/1957年8月・朋文社刊『南支那海』所収 |
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『小説 天皇裕仁――隠された昭和史』
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作品名 別表記 | 表紙 「小説 天皇裕仁〈隠された昭和史〉」 扉 「小説 天皇裕仁―隠された昭和史―」 奥付 「小説天皇裕仁」 | ||||
印刷/発行年月日 | 発行 昭和35年/1960年3月30日(初版) | ||||
発行者等 | 発行者 伊藤尚志 印刷者 橋本伝四郎 | ||||
発行所 | 荒地出版社(東京都) | 形態 | 四六判 上製 | ||
装幀/装画等 | 装丁 伊藤悌三 | ||||
総ページ数 | 252 | 表記上の枚数 | 帯 700枚 | 基本の文字組 (1ページ当り) |
26字 ×22行 ×2段 |
本文ページ | 5~250 (計246頁) |
測定枚数 | 688枚 |
書誌
書下ろし
昭和50年/1975年☆月・三笠書房刊『小説天皇裕仁 軍国昭和史』
昭和59年/1984年8月・徳間書店/徳間文庫『小説天皇裕仁 軍国昭和史』
平成2年/1990年10月・批評社刊『小説天皇裕仁』
候補者 小泉譲 47歳 | ||||
選考委員 | 評価 | 行数 | 評言 | |
源氏鶏太 | 48歳 |
△ | 5 | 「その努力と構成の妙に頭をさげた。しかし、こういう小説を授賞作品とするには、いろいろの問題が残るようだ。」 |
小島政二郎 | 66歳 |
― | 0 | |
川口松太郎 | 60歳 |
― | 0 | |
木々高太郎 | 63歳 |
― | 0 | |
大佛次郎 | 62歳 |
― | 0 | |
村上元三 | 50歳 |
● | 4 | 「天皇を描いている部分が月並だし、ほかの材料でもっとよい作品が書ける人だと思う。」 |
吉川英治 | 67歳 |
■ | 6 | 「そのけなげさをほめてよい。」「けれどとてもこれほどな大材料とはまだ取組めてもいないかたちである。」 |
海音寺潮五郎 | 58歳 |
― | 0 | |
中山義秀 | 59歳 |
△ | 6 | 「まじめさには、好意がもてた。傀儡とされた権威者の悲劇、これは興味ある題材であり、追及されてよい問題だと思うが、荷がかちすぎるとよろめくことになる。」 |
選評出典:『オール讀物』昭和35年/1960年10月号 |
文量 | |
長篇 | |
章立て | |
「一章 黒い雲の流れ 一九二九年」「二章 雪と血の中の怒り 一九三六年」「三章 軍靴と暗い波の響き 一九四一年」「四章 腹の中の乾いた太陽 一九四五年」 | |
時代設定 | 場所設定 |
昭和前期 | 東京 |
登場人物 | |
●裕仁(天皇) ●城戸哲夫(国際政経研究所員、嵯峨院章顕の庶子) ●嵯峨院美子(嵯峨院章顕の孫娘) ●嵯峨院章顕(公爵、天皇の相談役のひとり) ●香帆子(哲夫の妻) ●友平(香帆子の弟、軍人) ●中尾節子(哲夫の友人の妹) |