選評の概要
1. 2. 3. 4. 5.6. 7. 8. 9. 10.
11. 12. 13. 14. 15.
16. 17. 18. 19. 20.
21. 22. 23. 24. 25.
26. 27. 28. 29. 30.
31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68. 69. 70.
71. 72. 73. 74. 75.
76. 77. 78. 79. 80.
81. 82. 83. 84. 85.
86.
このページの情報は「直木賞のすべて」内の「選考委員の群像 瀧井孝作」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治27年/1894年4月4日~昭和59年/1984年11月21日 | |
在任期間 | 第1回~第86回(通算47年・86回) | |
在任年齢 | 41歳2ヶ月~87歳8ヶ月 | |
経歴 | 岐阜県生まれ。 高山市において句人の河東碧梧桐に師事。大正3年/1914年上京、時事新聞記者や『改造』編集者を経て、大正9年/1920年小説「弟」で文壇デビュー。 小説に「無限抱擁」「欲呆け」、句集に「折柴句集」、随筆集に「野草の花」などがある。 |
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受賞歴・候補歴 | ||
個人全集 | 『瀧井孝作全集』全12巻・別巻1(中央公論社) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 瀧井孝作 44歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
田畑修一郎 | 34歳 |
◎ | 13 | 「まともに見て描いてあって自然な感じのする点で、こんどぼくの読んだ中では一番好きだと思った。」「一票を入れた。今月の文芸汎論に出た田畑氏の近作の短篇も美しい作と思ったので、それで推選した。」 |
37歳 |
□ | 17 | 「この作者はドギツイ逞しい力をもっていて、これが特長らしいが、筆が尚洗練されて幅が出てくれば申分ないと思った。厚物咲一篇はわりに消化れて、幅もあるし、立上った感じの作で、これはよいと思った。」「読んでも面白いが、何か無気味な怪力乱神のようなものがあって、ぼくは好きになれなんだ。」「当選に強いて反対もしなかった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和13年/1938年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
村田孝太郎 | 36歳 |
◎ | 8 | 「ぼくは一番好きで一番佳いと思った。」「生活の暗示に富んだ筆で、描写に力と厚味があり、堂々として、鶏の姿が美しく表現されていて、読み乍ら実に愉しかった。鶏のことばかりを描いてある点も、作品として何か新味が感じられた。」 |
44歳 |
△ | 14 | 「主人公の晩年、農村人として生き抜いたという、これは史実とみるよりも作者の創作のようにみえたが、この土の精神の力説は、佳い主題で、佳い小説に成っていると思った・描写の筆は分り易いが、味いは稍平板ではないか、猶活々とした血肉があれば申分ないがと思った。」「(引用者注:前回候補の)「薤露の章」は唐氏の伝奇小説李〈女+圭〉伝を換骨奪胎した歴史小説で、この作者が斯様に特異小説をつくる、その頭のはたらきが買われたわけだ、とぼくは思った。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
石原文雄 | 41歳 |
○ | 6 | 「僕が一番好きなのは、「断崖の村」」「だいたい村を見渡しているような――家みたいなものになるのだけれども……。」 |
28歳 |
□ | 26 | 「上海だの、南京、蘇州なんかの景色は非常にうまく書いてあるように思うね。」「上海にいる人らしいし、ああいう雑誌に出たのを、ここで芥川賞として取上げるのも、この際いいのじゃないかという気持は勿論あるのだね。」「今度は「長江デルタ」でどうですかね。」 | |
「候補者にはなるけれども、賞とするには足りない、今度は賞なしで、掲載するという程度でどうかね。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和16年/1941年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
38歳 |
○ | 7 | 「すこし荒削の感じだが、筆に情熱と昂奮があった。詩のような甲高い調子も、作者の一杯な気持の自然に出たものだと思った。」「蒙古人と支那人との生活問題をハッキリ提出した一篇の主題もなかなか良いと思った。」 | |
相原とく子 | (不明) |
○ | 5 | 「今回読んだ中で、ぼくは一番好きな短篇だと思った。芥川賞は茲三四回大陸の時局物の入選ばかりが続くので、こんどは内地向きの短篇も好いと思ったが、(引用者中略)すこし小粒にみえて当選はしなかった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和18年/1943年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
林柾木 | 44歳 |
◎ | 8 | 「一番好きになった。」「事柄を端的に出す描写もうまくて気が利いていた。」「近頃ガサツな時局物が余りに多いから、却ってこういう沁々した作品を読むと心持が和らげられるし、却ってこの静かな作品を採りたいと思った。」 |
32歳 |
△ | 4 | 「(引用者注:「登攀」と共に)読んでそれぞれ面白味も腕前の力もあるが、この二篇を「昔の人」と比べると、短篇としての冴えと匂いとが稍劣ると思った。」 | |
34歳 |
△ | 4 | 「(引用者注:「劉廣福」と共に)読んでそれぞれ面白味も腕前の力もあるが、この二篇を「昔の人」と比べると、短篇としての冴えと匂いとが稍劣ると思った。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第三巻』昭和57年/1982年4月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和19年/1944年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 55歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
光永鐵夫 | 47歳 |
◎ | 23 | 「一番すぐれていると思った。これは、リアリズムの小説ではなく、リリシズムのもので、そしてフィクションの作品だが、文章も板についていて、調っていて、読後の感じは、沁々した佳い感じがあった。」 |
48歳 |
○ | 13 | 「教養人の終戦後の窮迫が描かれて、善良な人柄の美しさが、悠たりした明るい上品さで出ていた。教養と人柄との持味で出来た作品で、作者の技倆は未だ分らない気がされた。」 | |
24歳 |
● | 10 | 「小谷剛という人のものは、作家という同人雑誌で幾つも読んでみたが、私は、どれも未だ採れないと思った。文壇の流行小説に中毒して、小説らしく真似て、夢中で書く若い時分に往々例のある習作で「確証」というのも習作の一つにすぎないと思った。文章も線の弱い、頭に沁まない、軽薄なもので……。」 | |
「こんどは、どうも、際立ってよいと言うのはなかったようで、選択にいろいろと迷った。厳選の建前から、今回は当選なしにしようかと云う話も出た。が、折角復活した芥川賞第一回に当選なしも、淋しい、というようなわけで、結局、この中で比較的にどれがよいか、各自の思う所で投票してみようという話になった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和24年/1949年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
田宮虎彦 | 39歳 |
◎ | 37 | 「当選しそうでしたが、しまいにはずされて、一寸心のこりもありました。」「新人ではないし、もう十分認められている人ですが、それはこのごろ沢山書いていても筆に流れた所がないし、投げやりでないし、そして新人のように熱中した仕事振だから、このような一生懸命の仕事振に対して、こんどは特別に、型破りに、賞を呈するのもよいかと考えました。」「殊に、田宮氏の歴史小説に感心しました」「腕前は水際立ってズバ抜けています。」「現代小説は見劣りがすると思いました。」 |
35歳 |
○ | 17 | 「「異邦人」は、(引用者中略)題材がまず面白いと思いました。」「庶民と共に浮世のドン底に入って、精神のやすらぎを得ようとする、脱落した心持がこの小説のテーマらしく、この意味では一種の思想小説ともとれました。亦、思想小説としても、主張のない何気ない点が好もしいと思いました。」「デッサンの確かりした、線のするどい筆つきで、これにユーモラスのやわらか味もあって、一種の持味のある好い作家のように思われました。」「それで私は、この「異邦人」を推しました。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和25年/1950年10月号) |
選考委員 瀧井孝作 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
近藤啓太郎 | 30歳 |
◎ | 15 | 「候補に推しておきました。」「強い筆致で、漁村の風物が出ていて、朴訥な地方文学として、面白いかと思いました。かなり感心しました。」「ところが、銓衡会の席上で、丹羽君は「この人は今当選したら身の破滅になる、まだまだでしょう」と云って、抑えてしまい、私は、当人の事をよく心得た筈の丹羽君がそう云う以上は、わきから口出しするわけにいかないので、私は主張せずに沈黙してしまいました。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和26年/1951年4月号) |
選考委員 瀧井孝作 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
直井潔 | 37歳 |
◎ | 23 | 「図抜けて佳いと思いました。」「この小説には、病人の暗い面は背景に滲んで、明るい面が妙に美しく出て、読後感が妙に明るい、これが此の小説の特長だと思いました。」「この作品の当選しなかったのは、余りに平明直写で、曲がなく、平板のようで、これが物足りないのかもしれませんが。」「川端康成さんは(引用者注:昭和18年の処女作)『清流』をしきりに褒めて、この人を支持すると云われたが、私は、『清流』の方は若々しい美しさ、こんどの『淵』の方は、成長した力強さがあると思いましたが……。」 |
「今回の候補作品に付いては、私は、文學界の十月号位に『新人の文学』の方で、改めて詳説したいと思います。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和27年/1952年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
安岡章太郎 | 32歳 |
○ | 4 | 「(引用者注:当選作を)強いて出すとすれば、安岡章太郎氏の「愛玩」は、うまい短篇だし、前回の「宿題」も、佳作で、これらを見て、短篇作家として、推薦してもよいのではないか、と考えていました。」 |
43歳 |
□ | 7 | 「青空に雪の降るけしき、と形容したいような、美しい文章に感心しました。内容は、無名の文学青年の伝記で、大したものではないのによくまとめてあるので面白い、と見ました。」「この人は、探求追求というような一つの小説の方法を身につけているようだと分りました。」 | |
31歳 |
△ | 3 | 「大衆小説風の面白味で、軽い才筆というのか、これは、「喪神」は、ショッキリ角力を見たような妙な感じのものでした。」 | |
「私は、こんどは、格別よいのがないと見ていました。前回も当選なしで、こんども亦当選なしでは、面白くないから、誰か出したいが……。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和28年/1953年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
庄野潤三 | 32歳 |
○ | 9 | 「失恋した青年がしまいに、睡り薬をのんで入水自殺して、流木のように岸に打上げられて、助かってけろっとした所もよい。」「前に『恋文』というのも佳かったが、この『流木』は、また充実味が出てきた。」「ともかくこの人は、文章がきれいでうまい。」 |
広池秋子 | 34歳 |
○ | 14 | 「佳かった。」「ピチピチした生きのいい筆で光彩があった。」「作者が、オンリーの女性仲間に、あたたかい愛情があり、描写の一行一行も、たのしんで描いているようで、好かった。」「この作者は、下積みのみじめな女達をよく知っているようで、この方で特色もあり、尚、筆が伸びれば、林芙美子の跡継になるのではないか、と思ったりした。」 |
「今回は、この三人(引用者注:広池秋子、庄野潤三、小島信夫)が問題になって、三人三様で、それぞれ捨てられず、委員が一致して一人を推すことも出来ないようで、(引用者中略)一遍に幾人もは工合がわるい気がして、今回は休み当選者なしと云うことで、三人とも見送ることになった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和29年/1954年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
33歳 |
◎ | 20 | 「一番よいと思った。」「サラリーマン生活の弱点を衝いたテーマで、このテーマは、このように明白に提出されると、皆んなが一応は心得ておくべきで、これは大勢に読んでもらいたいと思った。それに、この短篇は、うま味が多い。読みながら不安の心持が惻惻と迫って、やわらかい美しい文章で、香気のようなふくいくとしたものがある。」 | |
小沼丹 | 36歳 |
○ | 7 | 「(引用者注:小島信夫よりも)「白孔雀のゐるホテル」「白い機影」「紅い花」などの方を、採りたかった。小沼氏は、淡彩の風趣のある筆致に、どの作品も、独特の持味がある。好い作家だと思った。」「今回は、三人も当選は多すぎると云われて、小沼氏の残されたのは惜しかった。」 |
39歳 |
△ | 9 | 「「アメリカン・スクール」は、読んでは面白いが、読後に残る感じは淡い。この作者の「神」と「犬」という短篇も読んでみたが、これは佳作とは云えない、調子に乗った乱作と云うような所があった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和30年/1955年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
坂上弘 | 19歳 |
○ | 6 | 「カンワ゛スに絵画をぶちまけたような荒っぽい、テンポの早い、無造作な軽い筆触に、何か新味があるようで、私は注目した。」「未だ十九歳だから、今後なお注目したいと思った。」 |
32歳 |
△ | 6 | 「わるくはないが、アカデミックの形式主義か、飜訳小説に似て、瓶詰をたべるような味だと思った。」「「白い人」遠藤周作氏が当選したことは、西洋小説のようなものも日本人が描けるのだという意味で面白いと思った。」 | |
「格別これを推したいと思われるものはなかった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和30年/1955年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
藤枝静男 | 48歳 |
◎ | 13 | 「一番よいと思った。」「「イペリット眼」(引用者中略)も一寸よかったが、こんどの方が、手法もずっと進歩して、筆もよく利いて、この人はやはり勉強しているのだと思われた。」「アプレ青年少女の行動がいきいきとして、よく分り、本当に深切に描いてあって、これは、大人の小説だと思った。しまいの所、医者が深酔して怪我して傷つく所なども、小説の末尾として感じのふかいものがあった。」 |
23歳 |
□ | 32 | 「小説の構成組立に、たくみすぎ、ひねりすぎの所もあるが、若々しい情熱には、惹かれるものがあった。これはしかし読後、“わるふざけ”というような、感じのわるいものがあったが、二月号の「文學界」の「奪われぬもの」というスポーツ小説は、少し筆は弱いけれど、まともに描いた小説で、これならまあよかろうと思った。」「この作家は未だ若くこれからだが、只、器用と才気にまかせずに、尚勉強してもらいたい、と云いたい。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和31年/1956年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
有吉佐和子 | 25歳 |
○ | 15 | 「(引用者注:初めて読んだ時)佳作だと思った。」「再読した所、またこの小説の中の人物の心持にひきこまれて、老父の心持、娘の心持に、同情しながら読んだ。このごろの大方の小説は、読んでその作中人物の心持にひきこまれる程に、心をこめて書かれたものはすくないようだが、これは、そのすくない中の一つだと思った。」 |
36歳 |
△ | 6 | 「わるくはないけれど、このごろ流行のフィクションで、人物もはじめから終りまで二人きりの相対で、なかなか巧みなものだが、それだけに自然な新鮮な方では前の「飛魚」の方が佳かったが。」 | |
「長篇なので今回の候補からはずされた、西野辰吉氏の「秩父困民党」は、佳作だと思った。小島直記氏の「人間の椅子」は、経済調査庁という役所の機構を主題にした小説が、すこし変ったものだと見た。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和31年/1956年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
藤枝静男 | 49歳 |
◎ | 24 | 「一番佳いと思った。」「北満の殺風景な兵隊の雑事にも、端的な自然描写が実にいきいきした色彩と滋味とを加えて、うまいと思った。人物の性格もよく描き分けられて、実によく見て見抜いてあると思った。このような眼の確かな克明な描写の小説は、日本人ばなれがしていると思った。」「青年の清潔な心持が世俗の邪悪にいかに対抗したか、これがテーマだが、この清潔な心持は、この人の独特のもので、そうざらにはない得難いものではないかしら。」 |
「こんどは大方のが稀薄なので、銓衡も何だか気乗薄のようで、「無しにしよう」という大勢になって、私の推した「犬の血」も、この大勢にまきこまれた恰好になったが。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和32年/1957年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
島村利正 | 45歳 |
◎ | 11 | 「一番佳いと思った。」「美しい小説で、一寸古風なようだが、古風なところが今の流行小説にない清新な感じだと見た。これは古くさいのではない、生き生きした古風で、絵の方で云えば版画の味に似たものとでも云えようか。この版画の味も、小説としてはまた清新の手法で面白いと思った。」 |
32歳 |
△ | 11 | 「(引用者注:「残菊抄」の)次に(引用者中略)「不法所持」が佳いと思った。殺人事件の犯人を探す、探偵小説のようだが、しかし人物の心持が主に描かれて、人物の心持を追求する筆もよく伸びて、面白いと思った。」「「硫黄島」は、「不法所持」にくらべると、描写の肉附が手薄のようで、か細い弱々しい感じで、話の筋はいろいろ引っぱられるが、線だけで淡い感じだ。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和32年/1957年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 63歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
川端康夫 | 22歳 |
◎ | 11 | 「女の心持の深いものが描かれて、それは少年の目に映った世相で、澄んだ爽かな感じがあった。僕はこれを今回の候補作品の一つに推したが、(引用者中略)読み甲斐のあるものとして推したが。」「優等生の作文のようで、大江氏開高氏にくらべると、まだ力が弱いがこの優等生の所からもっと踏破って出るとよいと思った。」 |
27歳 |
■ | 8 | 「僕は好きな作品とは云えなかった。」「とりすました形式主義よりも自然の野性の魅力を主張した、このテーマは宜い。しかし、この小説の作中人物は、大方中間小説のように安っぽい描写で、僕は好きにはなれなかった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和33年/1958年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
金達寿 | 39歳 |
◎ | 18 | 「一番読みごたえがあって、面白かった。」「朴達という農奴出の煽動者も、しまいの裁判の場面も、面白く描いて、筆も、政治小説としては平易にわかりやすく、田野の乾し草の香のような味があって、うまいと思った。」「私は、(引用者注:以前の「玄界灘」より)この題材が新しい方で、こんどはこれを推したが、新人でないと云われて、惜しいが仕方がなかった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和34年/1959年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
北杜夫 | 32歳 |
◎ | 13 | 「図抜けて佳いと思った。」「この人のものは前にも予選作品を読んだが、それは何を書いてあったか今はおぼえてないが、(引用者中略)それからみると格段の進歩ではないかしら。」「昆虫採集マニヤの人物を点景とした、一つの風景画を見るような美しい感じの小説で、この風景小説の意味でも新しいと思った。」「作者はこの小説を打込んで書いてまた脱皮したものがあるようにも考えられた。」 |
佃実夫 | 33歳 |
○ | 5 | 「(引用者注:「谿間にて」の次に)佳いかと思った。」「ともかく読ませる筆で、モラエスという老年の西洋人の阿波の徳島での孤栖の生活が、詳細に描かれていた。古風のような描写だが、面白く読ませる、相当の力作だと見た。」 |
49歳 |
△ | 12 | 「何か面白い所もあるが、何かよくわからない、作者のひとり合点のような所もあった。」「よくわからないのは、未だ熟さない、こなれない、欠点もあると見た。ともかく、この人には妙な独自の何かがあると思った。何かがある点では好意を持つが……。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和34年/1959年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
吉田紗美子 | 33歳 |
◎ | 16 | 「一番よいと思った。」「人妻のヨロメキの小説とも見られやすいが、これは男女の色事の小説ではなく、女の目覚めがテーマだ。女の自覚をこれだけ精細に見詰めた、読み応えのある小説はそう沢山はない。文章はまだ少し硬いようだが、まともでテキパキして、風景描写も遠近が出て空気が描けて、かなりの技倆だ。」「この作がこんど当選しなかったのは、一寸ふしぎだ。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和35年/1960年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 66歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
29歳 |
◎ | 12 | 「一番佳いと思った。」「筆致が清澄で、事物がわかりやすい。短篇としての構成も、うまい。」「十七字音の定型の俳句を見るような古風なもので、この古風なのも却って面白いと思った。」 | |
泉大八 | 32歳 |
○ | 6 | 「二番目に(引用者中略)佳いかと思った。」「在来のプロレタリヤ小説とくらべて、これは明るいうまみがあって、長いけれど面白く読めた。」「筆には、明るい若いやわらかい味がある、これが佳いと思った。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
大森光章 | 39歳 |
◎ | 7 | 「一番佳いと思った。」「前回の「名門」は、まだ文章の力が弱くて、採れなかったが、この「王国」は、北海道の冬の山の雪げしきが、精彩のある筆で、文章に作者の生地が出て、佳かった。」 |
27歳 |
□ | 13 | 「恋敵・仕事敵の腕比べなども描いて、大衆向の読物とも見える。」「大体は、若気の至りの粗大なものだろうが、向うみずの盲目の情熱と、野放図のたくましい構想力とは、また異色のもののようで、捨て難い。このようなものも、稀にたまには有ってもよいと思った。この粗大が、はびこっては困るが。」「今回は又ナシでは淋しいので、「鯨神」は賛成も多いようで、僕は敢えて、当選の方に、努めたが。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和37年/1962年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 70歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
伊藤沆 | 50歳 |
◎ | 13 | 「私はこの人の昨年か名古屋の「作家」に出した、「幽囚記」という百五十枚ほどの歴史小説に感心して居た。(引用者中略)これは大人の小説だと思った。この歴史小説が佳かったので、こんどこの私小説も推薦した。この「幽囚記」がこんど参考にでも読まれたらよかったが……。」 |
立川洋三 | 36歳 |
○ | 3 | 「テキパキと描いてあった。この人のものは尚読みたいと思った。」 |
津村節子 | 36歳 |
○ | 3 | 「素直によく描いてあった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和40年/1965年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 72歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
萩原葉子 | 45歳 |
◎ | 22 | 「(引用者注:この作者は)うまくなったと思った。一気に終いまで読んだ。」「大体に、此頃雑誌の小説は低い感じのものが多いが、とにかくこの高いリズムのある作品は、推称に価すると思った。」「「図抜けて佳かった。」 |
「「天上の花」以外は、ひどい作ばかりが選ばれた。このような悪作ばかりが予選に通るのは、どうしたわけか。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和41年/1966年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 75歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
直井潔 | 54歳 |
◎ | 5 | 「童話の味で、文章がいきいきして、新しい爽やかな感じで、実に佳かった。文章にこれだけの持味のある作家は、今は殆ど少なくなったが……。」 |
32歳 |
○ | 8 | 「現今の学校卒業生の生活手記で、十八歳の少年にしては余りにおしゃべりだが、この饒舌に何か魅惑される、たぶらかされる面白味があった。」「構成も面白く、繊細な美しさがあった。筋のない小説らしい。」 | |
41歳 |
□ | 6 | 「描写がリアルにハッキリして佳かった。」「しまいの学生一人で馬の屠殺は、少し唐突のようで、書き足りないが、何か智恵のない感じがした。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和44年/1969年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 77歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 11 | 「叙情がよくまとまって居た。李恢成氏の作は、こんどで五回候補になったが、私はこれが一番よいと思った。李恢成氏の日本語は、初心なたどたどしい所が新鮮味であったが、この「砧をうつ女」は、またよい意味で、野放図になったと思った。」 | |
秦恒平 | 36歳 |
○ | 11 | 「この短篇のはじめの、古代の武人の姿も簡潔に描かれ、武人の孫の生い立ちも憐れ深く、武人の孫の八歳の幼年が出家の時に、一人で廬山の頂上目がけて這い上る所は粘ばり強くて、「廬山」の題も宜かった。」「泉鏡花と芥川龍之介と二人の作に似た凝った所があると私は見たが、こんどの「廬山」は、それに野生の強いものが出てきたと思った。」 |
33歳 |
△ | 5 | 「方言もうまく使って、まあ読ませるが、少し他愛のない感じもした。――素質のある人なら、受賞すれば、更によい作が出来るから、私は、授賞に反対はしなかった。――」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和47年/1972年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 78歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
森内俊雄 | 35歳 |
○ | 6 | 「暖かい心持がよく出て居て、佳作と思った。平凡な材料でもあと味がよかった。」 |
37歳 |
□ | 7 | 「悲しい心持の切実な物語だが、文章が稍くだくだしいのが、少し惜しい。強い簡潔の筆なら尚よかったが……。」 | |
39歳 |
△ | 14 | 「文章もうまいが、軽くスラスラしすぎて図式のようで、実感が淡かった。」「色いろの場面が、隔離病院内の子供の患者たちの、学校教師の目から描かれて、この学校教師は芝居の狂言まわしとも見えて、実感は淡かった。技巧の勝った小説と見えた。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和47年/1972年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 79歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
青木八束 | 40歳 |
◎ | 11 | 「こんどの予選作の中で、私はこれが一ばんよいと思った。」「人物も劇的に事物も立体的に目に映り、(引用者中略)すべて面白く描けて居た。しかし、この作は今回三票きりで、落選した。銓衡委員には各々個性があるから、私はこれを強いて推すこともしなかった。」 |
野呂邦暢 | 35歳 |
○ | 6 | 「広い天地と疎らの鳥類と孤独の男とがスッキリ描けて居た。私はこの作は今回(引用者注:「蛇いちごの周囲」に次いで)二番目によいと見たが、四票きりで落選した。」 |
38歳 |
● | 4 | 「五票で当選したが、私は票は入れなかった。小説の脊骨が弱い。筆が甘い。読んでも頭に沁まなかった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 79歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 8 | 「自衛隊の初期訓練、演習なども克明に書いて、班員の性格も描き分けて、地面に喰いついたようなひたむきな粘りがみえた。この人は、気の利いた作も書けるのに、今回は更に無器用なものを出して、私は、今回九篇の中ではこれが一番よいと思った。」 | |
金鶴泳 | 35歳 |
○ | 5 | 「筆の初いういしいのが佳かった。日本語に馴れずに初心に書いたものと見た。」 |
61歳 |
■ | 3 | 「歌いぶりはちょっと面白いが、足もとが弱いと思った。切実なものがないと見た。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和49年/1974年3月号) |
選考委員 瀧井孝作 81歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
44歳 |
◎ | 12 | 「私は読みながら、むごたらしさに、あわれさに、涙が出てきた。何よりも、筆が冴えて、いきいきして、惹きこまれた。」「いろいろのことが混乱して、わかりにくい箇所もあるが、これも実感の表現とみた。」「私は、この作家の長崎原爆体験のモチーフと、冴えた筆力と、両方を推奨したい。」 | |
島村利正 | 63歳 |
○ | 8 | 「しなやかな筆の風景描写も、この小説のヒロインの目にうつる感じのようで、大方の小説は活字だが、これは肉筆をみる感じ、これもまた新しいと思った。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和50年/1975年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 82歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
光岡明 | 43歳 |
○ | 7 | 「私は読みながら細君のかいた私小説かと思ったが、あとで光岡明氏は別人とわかり、細君の筆ではない、達者なものだと思った。」 |
森泰三 | (54歳) |
○ | 5 | 「私はこの小説の末尾にある、結婚の心持を訴えた長文の手紙には、打たれて惹きこまれた。この作品は筆が堅すぎるせいか、銓衡にとりあげたのは私一人であった。」 |
24歳 |
■ | 8 | 「アメリカ軍の基地に近い酒場の女たち、麻薬常習の仲間たちのたわいのない、水の泡のような日常を描いたもの、と私はみた。この若い人の野放図の奔放な才気な一応認めるが……。」「私はこの人の尚洗練された第二作第三作をまちたかった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和51年/1976年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 83歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
寺久保友哉 | 40歳 |
○ | 13 | 「前半はやわらかい筆にてこまかい心持が出て、(引用者中略)後半のヒドイ目にあう場面は自ずと急迫した筆にて、私はひきこまれた。人の心のあやふやな所がテーマと見えた。」 |
29歳 |
■ | 4 | 「おしゃべりのズラズラしゃべりまくる筆で、このおしゃべりが特長かもしれないが、私はもっと簡潔に書いてほしいと思った。」 | |
43歳 |
● | 6 | 「小説として構図は新しいようだが、内容はとりとめがなく、まとまりのない作だと思った。」 | |
「大体にどれもくだくだと長すぎて、私は、もっと簡潔な引緊った、短篇を望む。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和52年/1977年9月号) |
選考委員 瀧井孝作 84歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
青野聰 | 35歳 |
◎ | 7 | 「幼稚のようなやわらかい筆の味が活き活きして、私は今回これが一番よいと思った。」 |
中村昌義 | (48歳) |
○ | 7 | 「この作家のものは律義な筆で、以前に候補作を二篇も読んでいて、前回よりも今回の方が一番よいと思ったが、今回は(引用者中略・注:「母と子の契約」に次いで)次点と見た。」 |
「四作(引用者注:「母と子の契約」「淵の声」「秋月へ」「髪」)が認められて、最初の採点には、六点が三作と五点五分が一作と採点されて、選者は十人で、過半数が四作もあって、当選作が出る筈のところ、だんだん話合ううちに減点されて、今回はナシになった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十二巻』昭和58年/1983年1月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和54年/1979年3月号) |