選評の概要
94. 95.96. 97. 98. 99. 100.
101. 102. 103. 104. 105.
106. 107. 108. 109. 110.
111. 112. 113. 114. 115.
116. 117. 118. 119. 120.
121. 122. 123. 124. 125.
126. 127. 128. 129. 130.
131. 132.
生没年月日【注】 | 昭和12年/1937年11月19日~令和2年/2020年2月18日 | |
在任期間 | 第94回~第132回(通算19.5年・39回) | |
在任年齢 | 48歳1ヶ月~67歳1ヶ月 | |
経歴 | 東京府荏原区生まれ。東京大学文学部独文科卒、同大学大学院文学研究科独文学専攻修士課程修了。大学で研究、翻訳などを手がけるかたわら創作を始める。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『古井由吉作品』全7巻(昭和57年/1982年9月~昭和58年/1983年3月・河出書房新社刊) | |
芥川賞候補歴 | 第62回候補 「円陣を組む女たち」(『海』昭和44年/1969年8月号) 第63回候補 「男たちの円居」(『新潮』昭和45年/1970年5月号) 第64回受賞 「杳子」(『文芸』昭和45年/1970年8月号) 第64回候補 「妻隠」(『群像』昭和45年/1970年11月号) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 古井由吉 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
多田尋子 | 54歳 |
○ | 27 | 「私はもっとも興味をひかれた。」「作品の文章の、やはり歳月をはらんだ、淡泊ながらの独特な粘着性が私には捨てがたくて、これは欠如としか受け取られないものをかけ値なしの現実として基に据えた作品ではないか、(引用者中略)と選考会の席上、われながら苦しい弁じ方をしたところが、先輩諸委員からかすかながら同意を得たのは、むしろ意外だった。」「結局は、この一作では作者の抱えた現実性の深浅を見定められないとして見送られた。私も強く推す自信はなかった。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和62年/1987年3月号) |
選考委員 古井由吉 51歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
司修 | 53歳 |
◎ | 7 | 「手のこんだ達者の作品と誤解されたようだ。じつは羞恥と憤怒、そのあまりにシャイ、そのまたあまりに腰の重くならざるを得ないこころが、「花屋さん」という呼びかけを合図に、人を救うという喜劇の舞いを、重い腰のまま舞い出したのだ。」「私はこれを推した。」 |
37歳 |
△ | 13 | 「佳い作品である。この作家の美質の、寒冷に冴えた感性が作中にゆるやかに行き渡り、神経の軋みがようやくおさまったという境地か。」「最後の、ある朝、水車が停まりまた人が死んだ、という感動の仕舞いは、どんなものか。この二つの死の、時差のほうに、せっかく表現に苦しむ者なら、力をかけるべきなのだ。」 | |
33歳 |
△ | 14 | 「言語に病む人間の描出に一面からまともに立ち向かって、読み甲斐のある作品であった。」「しかし最後の部分で、在日韓国人の言語分裂の根もとへ、一人の生粋の韓国人を、仮構とは言いながら、人物さながら取りこんでしまった。これがあるために私はこの価値ある作品を、韓国語のために日本語のために、授賞作としては採らなかった。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十四巻』平成1年/1989年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成1年/1989年3月号) |
選考委員 古井由吉 54歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
奥泉光 | 35歳 |
◎ | 34 | 「アナクロニズムの域にまで古び形骸化したとき、ようやく典型として現にあらわれる時代の人間像というものは、やはりあるのだろうな、と考えさせた」「しかも愉快な人物像ではない。」「このような人物を非共感的に、(引用者中略)この人物こそ、その度しがたき《言葉》もふくめて、それなりに純正であったという、かならずしも救いでなく、憂鬱なる是認に至る。」「ここまで漕ぎつけたのは、この作品の手柄だと思われる。」 |
30歳 |
― | 0 | ||
選評出典:『芥川賞全集 第十六巻』平成14年/2002年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成4年/1992年3月号) |
選考委員 古井由吉 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
引間徹 | 30歳 |
◎ | 10 | 「私は(引用者中略)推した。作者が悪戦苦闘しているその相手が、どうやら《空白》そのものであるらしいということに、私なりに感ずるところがあった。」「構成の手ごたえよりも、どこまで行っても確かなものに触れぬその徒労絶望を、文章のはしゃぎに変えて押しまくった。作品の仕舞いでようやく叫びが立った。その声が私には聞こえた。幽霊とは騒がしいものである。」 |
三浦俊彦 | 35歳 |
○ | 6 | 「(引用者注:「地下鉄の軍曹」の次に)推した。」「《無・意・味》をつぎつぎに投げこんでいるところに、私は気迫を感じた。」「《意味》に捕まるまいと、大わらわである。喰い物を投げ散らしながら悪鬼から逃げる話が思い出された。しかし追いかける鬼の相貌がやや稚く見えた。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第十七巻』平成14年/2002年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成7年/1995年3月号) |
選考委員 古井由吉 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
青来有一 | 36歳 |
◎ | 12 | 「私は推した。虚構の立て方に間違いがあった。ルール違反に近いものを犯したとも言える。」「「僕が声を失ったこと」を冒頭から打ち出したほうが、むしろ虚構の筋は守られたのかもしれない。しかし、卑劣と尊厳がひとつの病いであるような、人格は描かれた。これも惨憺たる宗教的人格と言わなくてはならない。それだけの説得力は作品にある。貴重なことだ。」 |
38歳 |
△ | 7 | 「今の世の神経の屈曲が行き着いたひとつの末のような、妙にやわらいだ表現の巧みさを見せた。」「三年後に、これを読んだら、どうだろうか。前提からして受け容れられなくなっている、おそれもある。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十七巻』平成14年/2002年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成7年/1995年9月号) |
選考委員 古井由吉 62歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
楠見朋彦 | 27歳 |
○ | 36 | 「私は授賞可能の作品として推した。しかし、あぶない作品だとも思った。」「それなりの手続きは踏まれているのだ。語り手を三人に分けたのも、そのひとつである。さらに第四の「語り手」もある。」「流血の地の与太話を思わせるものでも、それが「兵」たちのすだんだ心と口から出たものなら、それなりの現実である。迫害を恐れる者にとっては、ほとんど現実である。」 |
37歳 |
― | 0 | ||
34歳 |
― | 0 | ||
選評出典:『芥川賞全集 第十八巻』平成14年/2002年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』平成12年/2000年3月号) |