選評の概要
39. 40.41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
66. 67. 68. 69. 70.
71. 72. 73. 74. 75.
76. 77.
このページの情報は「直木賞のすべて」内の「選考委員の群像 永井龍男」と同じものです。 | ||
生没年月日【注】 | 明治37年/1904年5月20日~平成2年/1990年10月12日 | |
在任期間 | 第39回~第77回(通算19.5年・39回) | |
在任年齢 | 54歳1ヶ月~73歳1ヶ月 | |
経歴 | 東京生まれ。一ツ橋高小卒。 米殻取引所仲買店を経て、大正9年/1920年文芸誌「サンエス」に「活版屋の話」が当選。その後、作品が菊池寛に認められて交流を結び、 昭和2年/1927年、文藝春秋社入社。戦前には「文藝春秋」編集長、専務を務める。その間、芥川賞・直木賞の事務方として運営に従事。 戦後、創作が盛んになり「朝霧」「石版東京地図」「青梅雨」「一個その他」「コチャバンバ行き」など多くの小説を発表。 |
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受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『永井龍男全集』全12巻(講談社) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 永井龍男 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
33歳 |
◎ | 13 | 「最後まで選に残った二作、「夜と霧の隅で」と「パルタイ」双方に授賞してはと私は提案した」「私の疑問は、その長さだった。芥川賞の規定である「短篇」に該当するかどうかと云うことだったが、これは出席委員が全員で認めた。」「特異な題材を扱う作者の自信と、周到な用意が相俟って、厚みのある作品である。」「前回「谿間にて」が候補作に取り上げられたことも、この作者の力倆を知るよすがとなったようだ。」 | |
倉橋由美子 | 24歳 |
◎ | 14 | 「最後まで選に残った二作、「夜と霧の隅で」と「パルタイ」双方に授賞してはと私は提案した」「作品評は、すでに各方面でなされているので、蛇足を加えるつもりはない。」「なによりも、その新鮮さを私は買いたい。」「新鮮ということは、芥川賞の生命ではなかろうか。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和35年/1960年9月号) |
選考委員 永井龍男 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
柴田翔 | 26歳 |
○ | 5 | 「ロクタル管の説明から書き出したために、随分損をしていると思ったが、私には一番魅力のある作品だった。」「説明の文章の中にも、正確な美しさがある。」 |
木野工 | 40歳 |
○ | 4 | 「ひき込まれたが、芥川賞よりは直木賞に向けたい作品だと思った。題材も珍しいし、確りした作品なので、文藝春秋誌上に再録してもらえればと希望した。」 |
29歳 |
□ | 6 | 「読んでいる間は、ホッとした気分だった。神経の行き届いた文章で、安心して物語りについて行くことが出来、美しいと思ったが、芥川賞というものが新風を重んずるとすれば、その点どういうものだろうと発言して、他の委員から余計な心配はいらぬというような言葉でたしなめられた。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年3月号) |
選考委員 永井龍男 57歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
宇能鴻一郎 | 26歳 |
◎ | 11 | 「私は(引用者中略)推した。若く健康な空想力と、たくましい描写力に感心した。廃坑部落のセットの中で、風変りな西部劇の制作に、また独り芝居に一心不乱になっている、破帽の若い監督を想像した。」 |
「「光りの飢え」「海岸公園」「名門」の三篇に、委員の票が散った。散ったために、授賞作品なしという結果を生じた。」「運不運を強く感じると同時に、なにか腑に落ちないものが私の心に残っている。三篇ともに、過去の芥川賞の水準に達していると信じるからである。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年9月号) |
選考委員 永井龍男 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
34歳 |
◎ | 13 | 「二篇(引用者注:「美談の出発」と「烏のしらが」)を、私は選んだ。」「なに一つ高い声を立てることなく、ひとかたまりの飯粒ほどの人間の交渉を描いて、個性ある作品効果をあげている。」「私はその中に、主人公の使う鉄筆の音だけが、絶えずひびいているような印象をうけた。」「主人公の陰に立つ作者は、贖罪という言葉を弱々しく主人公に使わせているが、本音はもっと激しいものかも知れないと思った。」 | |
須田作次 | 36歳 |
○ | 7 | 「二篇(引用者注:「美談の出発」と「烏のしらが」)を、私は選んだ。」「独自な才能を持ちながら、なんとしても無駄が多く、筆が迂回し過ぎて、支持を失ったようである。」 |
「芥川賞候補に挙げられる作品が、近来徒らに長く、長くなければ力作でないかのような考え方がありとすれば、考え直す必要がありはしないか。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和37年/1962年9月号) |
選考委員 永井龍男 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
多岐一雄 | 31歳 |
◎ | 13 | 「私は「光芒」と「カナダ館」と「奢りの春」の三つに絞った」「短篇小説としてはほとんど完璧である。」「一つの短篇小説としては、この頃の候補作中頭抜けていると思われる。」「新潮同人雑誌賞を受けたこの作品にも(引用者注:他賞を受けたという理由で失格となった「カナダ館一九四一年」と)同じ影が添ってくる。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和38年/1963年3月号) |
選考委員 永井龍男 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
33歳 |
○ | 7 | 「私は最後まで残した。」「(引用者注:「死化粧」と)ほとんど同じ題材を扱っているが、(引用者中略・注:「北の河」の方が)整った文体と抒情味が行き渡っているので、それがより多く好意を持たれる結果になったようだ。」「次作にいまは注目したい。その繊細さの中に多少の危惧を感じるからである。」 | |
長谷川修 | 39歳 |
○ | 7 | 「作者は、(引用者中略)相当な才人である。」「私は最後まで残した。」「軽さを指摘する人が多かったが、今後もこの作家はこの軽さを生かす処に道があると思う。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和41年/1966年3月号) |
選考委員 永井龍男 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
秦恒平 | 36歳 |
◎ | 6 | 「「廬山」を推した。」「この作者の他作を読んでいる委員からも、積極的な支持はなかったので、大勢にしたがった。私は美しさに殉じた点を大きく買った。」 |
加藤富夫 | 43歳 |
○ | 8 | 「(引用者注:「オキナワの少年」と)作の出来上りは別として相似を感じた。」「(引用者注:「オキナワの少年」に比べると、冒険を)真向から描いた努力を買い、(引用者中略)泥臭さを私は支持した。」 |
36歳 |
△ | 3 | 「作者の心の広さに敬意を表する。」 | |
33歳 |
△ | 10 | 「(引用者注:「玩具の兵隊」と)作の出来上りは別として相似を感じた。」「(引用者注:「玩具の兵隊」に比べると)冒険へのスタートで筆を終えている」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和47年/1972年3月号) |
選考委員 永井龍男 68歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 4 | 「「ベティさんの庭」を推した。前作「魔法」から着実な成長があり、個性を伸ばしている点に敬服した。あれこれ眼を移さないので、作品が静かであった。」 | |
加藤富夫 | 44歳 |
○ | 4 | 「(引用者注:「ベティさんの庭」の)次ぎに挙げた。短篇としての仕上げに成功した作品である。たとえば、「重大発表」の意表をついた提示などがそれで、前作「玩具の兵隊」の作者として力量がみとめられる。」 |
43歳 |
△ | 5 | 「読ませる迫力のあるのは、作者が多年題材を育ててきた結果であり、戦争体験がわれわれに刻まれているからでもあろう。席上舟橋委員が、主人公の死で完結したのが惜しいと指摘したのは名評だと思った。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第九巻』昭和57年/1982年10月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年3月号) |
選考委員 永井龍男 69歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
中上健次 | 26歳 |
◎ | 4 | 「第一印象としては、(引用者中略)私には一番おもしろかった。持って行き場のない十九歳の焦燥と、現実嫌悪の昂りがよく表現されていると思ったが、私の他に支持は一票」 |
38歳 |
○ | 9 | 「(引用者注:「鶸」と「鳥たちの河口」との最終投票の際)私がこの作品に一票入れたのは、この方が自分の好みに合っているからというだけのことで、「鳥たちの河口」が作品として劣るからではない。」「「鶸」の表現には、ニュアンスを重んじ過ぎて人物のシチュエーションがはっきりせぬような欠点がある。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第十巻』昭和57年/1982年11月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和48年/1973年9月号) |
選考委員 永井龍男 73歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
高橋揆一郎 | 49歳 |
○ | 4 | 「短篇小説としては一番すぐれていると思った。題名が余りに直接的で、そぐわないのは残念である。」 |
29歳 |
□ | 5 | 「若さ、群集を書きまくるエネルギーに将来性を感じた。」「欠点も多い代りスケールは(引用者中略・注:「五月の傾斜」より)大きかった。」 | |
43歳 |
■ | 6 | 「精密な素材の配置と文章で組立てられていたが、緻密な描写が拡がるにしたがって、端から文章が死んで行き、これは文学ではないと思った。」「遠い日本妻の述懐が浄瑠璃風な陰湿な伴奏を繰返し、空虚な痴態だけが延々と続く。」 | |
「二篇の授賞作のうちの一篇(引用者注:「エーゲ海に捧ぐ」)を、まったく認めなかったということは、委員の一人として重要な問題である。」「当然委員の資格について検討されなければなるまいと考えた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第十一巻』昭和57年/1982年12月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和52年/1977年9月号) |