選評の概要
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生没年月日【注】 | 明治24年/1891年7月26日~昭和36年/1961年9月21日 | |
在任期間 | 第6回~第16回、第21回~第45回(通算18年・36回) | |
在任年齢 | 46歳5ヶ月~51歳5ヶ月、57歳11ヶ月~69歳11ヶ月 | |
経歴 | 本名=宇野格次郎。福岡県生まれ。早稲田大学英文科予科中退。 在学中に「清二郎の記憶」を発表。大正8年/1919年「蔵の中」「苦の世界」などで注目される。 昭和に入った頃から精神を病み入退院をくり返すも、昭和8年/1933年に「枯木のある風景」で復活。 代表作に「子を貸し屋」「軍港行進曲」など。 「芥川龍之介」「葛西善蔵論」「近松秋江論」など文芸評論の分野での功績も残す。 |
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受賞歴・候補歴 | ||
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個人全集 | 『宇野浩二全集』全12巻(昭和43年/1968年~昭和44年/1969年・中央公論社刊) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 宇野浩二 46歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
間宮茂輔 | 38歳 |
◎ | 9 | 「私が、両方とも、作者が商売雑誌に書いていない上に、(引用者中略)今度の候補作品の中で最も勝れた小説であると思った、『沃土』も、『あらがね』も、長篇であるという事と、もう一つ外の理由で、賞に這入らなかった。」 |
和田傳 | 38歳 |
◎ | 12 | 「私が、両方とも、作者が商売雑誌に書いていない上に、(引用者中略)今度の候補作品の中で最も勝れた小説であると思った、『沃土』も、『あらがね』も、長篇であるという事と、もう一つ外の理由で、賞に這入らなかった。」 |
31歳 |
○ | 87 | 「題名だけで当て推量して、敬遠して、読まない人があったなら、その人は文学の神に見放されるであろう。それ程この小説が傑作であると云うのではないが、老いも若きも、この小説を読んで、損をした気にならぬであろう、という程の意味である。」「一口に云うと、構想も手法も、大胆不敵の如くに見えて、実は可なり小心で細かい気配りの行きとどいている小説である。」「『糞尿譚』の善さはそういう所だけでなく、(引用者中略)主人公が、正義派の如くなったり、頽廃派の如くなったり、人情家の如くなったり、その他、色々するところ、誠にえたい(原文傍点)の知れないところにある。」 | |
「今度はじめて芥川賞銓衡委員になって、芥川賞と文芸懇話会賞の銓衡の仕方が随分ちがうのに、私は深い興味を覚えた。」「文芸懇話会の銓衡の方法と比べると、銓衡委員の顔触が分っている事と、各委員が討議する事と、かくの如く各委員が銓衡に就いての感想を発表する事と、この三つの事だけでも、芥川賞の銓衡の仕方の方が遙かに増しであろうか。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和13年/1938年3月号) |
選考委員 宇野浩二 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
37歳 |
◎ | 49 | 「ずいぶん複雑な怪奇な所さえある題材を、幾らかごたごたしているのが瑕であるが、また新鮮味は感じられないけれども、一種独得の風格と味のある文章で、或いは写実的に、或いは抒情的に或いは象徴的に、簡潔でありながら、可なり重厚に且つ克明に書いている。」「この小説を第一に推薦した」 | |
田畑修一郎 | 34歳 |
○ | 36 | 「自分の好き嫌いなどこだわらないで比べると、普通の意味で、「厚物咲」より、「鳥羽家の子供」の方が、上品で、謂わゆる芸術的である。」「褒めて云うと、何か弱々しいところと、「もう一と息」というところに、田畑の、長所がある。が、より以上に短所がある。」「田畑が、「南方」、「三宅島通信」、「石ころ路」等の謂わゆる感じのいい小説ときっぱり別れて、数年前の、「鳥羽家の子供」、「医師高間氏」あたりから出直す気になったら、彼は、必ず、二十年近い彼の長い文学の修業が報いられて、文学の大道に出られるであろうと私は信じるのである。」 |
中村地平 | 30歳 |
○ | 40 | 「この作者独得の南国の地方色と情緒が、そこに住む無智で楽天的で然も果無い人生が、心ゆくまで書かれている。」「(引用者注:各候補者の中で)彼の文章だけが目立って、こせつかず、おっとりしている」「中村の小説はたくさん読むと単調かも知れないけれど、読みながら楽しく、楽しみながら読める、という、近頃稀な小説である。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第二巻』昭和57年/1982年3月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和13年/1938年9月号) |
選考委員 宇野浩二 67歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
金達寿 | 39歳 |
◎ | 14 | 「この小説は、委員会でめずらしく全員一致で、認められたのであるが、(私も大いに認めたのであるが、)作者の金達寿が、既に十年ほど前に、よい小説を書いて、一部の人たちに認められたから、芥川賞にするには差し支える、と云う事になったのであるが、私は、十年ぐらい前に認められても、今は大ていの人が知らないという事だけでも、そういう『範囲』などはまったく問題にならないと思ったのであるけれど、「衆寡敵せず」で、私の考えなどは通らなかった。」 |
「この数年来(この二三年来)の芥川賞の予選に通過した小説の作者のなかに、どうしてもこれは書いてみたいと云う題材などはまったくないのに、凡そこんな事をこういう風に書いたら、「もしかしたら、」「あわよくば、」などと考えて書いたのではないか、当て推量される小説を書く人がしばしばいるように臆測され、今回にはそう推しはかられるような作品が少し目だって多かったような気がする」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和34年/1959年3月号) |