選評の概要
21. 22. 23. 24. 25.26. 27. 28. 29. 30.
31. 32. 33. 34. 35.
36. 37. 38. 39. 40.
41. 42. 43. 44. 45.
46. 47. 48. 49. 50.
51. 52. 53. 54. 55.
56. 57. 58. 59. 60.
61. 62. 63. 64. 65.
生没年月日【注】 | 明治38年/1905年7月2日~昭和60年/1985年1月31日 | |
在任期間 | 第21回~第65回(通算22.5年・45回) | |
在任年齢 | 43歳11ヶ月~65歳11ヶ月 | |
経歴 | 秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)生まれ。早稲田大学文学部英文科中退。電気業界誌の編集ののち、昭和5年/1930年ブラジルに渡航。帰国後、再び雑誌編集に携わるかたわら同人誌等に創作を発表。昭和13年/1938年、『中央公論』発表の「生きている兵隊」が発売禁止となり新聞紙法違反で起訴される。昭和27年/1952年~昭和31年/1956年、日本文芸家協会理事長。 | |
受賞歴・候補歴 |
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個人全集 | 『石川達三作品集』全12巻(昭和32年/1957年~昭和33年/1958年・新潮社刊) 『石川達三作品集』全25巻(昭和47年/1972年2月~昭和49年/1974年2月・新潮社刊) |
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芥川賞候補歴 | 第1回受賞 「蒼氓」(『星座』創刊号[昭和10年/1935年4月]) |
下記の選評の概要には、評価として◎か○をつけたもの(見方・注意点を参照)、または受賞作に対するもののみ抜粋しました。さらにくわしい情報は、各回の「この回の全概要」をクリックしてご覧ください。
選考委員 石川達三 43歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
藤枝静男 | 41歳 |
◎ | 10 | 「良き題材を選びそれを書きこなすという努力は小説の本道であって、非難にはならない。一つの良き題材を描き得た人は他の題材だって書ける筈だと思う。私はこの作者の将来には期待をもってもいいと思う。院長という人物の描き方などは凡手でない。」 |
松村泰太郎 | 40歳 |
○ | 8 | 「良い作品だと思った。丹羽君が「此の人には努力賞というようなものを贈りたい」と言ったが、私も同感である。後半が少し急いでいる感じがあるが、実力のある作品だと思う。」 |
48歳 |
■ | 11 | 「前半が実に良い。しかし後半になってまるで退屈である。その意味で私はこの作品を採らなかった。」「(引用者注:「本の話」と「確証」)どちらも一つだけを当選作とすることは承認し得ないのであった。」「したがって今回はいわば二人(引用者注:由起しげ子、小谷剛)とも次点である。」 | |
24歳 |
■ | 13 | 「はじめ「四天王」が挙げられていたが、これは低俗で、巧みではあるがその巧みさがいやらしかった。」「「確証」の方がずっと良い。実に危い橋をわたっていたが、最後の十行ばかりのところに反省と苦悶があって、全体が救われている。」「(引用者注:「本の話」と「確証」)どちらも一つだけを当選作とすることは承認し得ないのであった。」「したがって今回はいわば二人(引用者注:由起しげ子、小谷剛)とも次点である。」 | |
「八人の委員の意見がどうしてもまとまらず、特にすぐれた作品をも見出しかねて、今回は当選作なしという事に一度はきまったのであるが、事務局の方は是非授賞をしたいという話で、ついに投票できめることにした。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和24年/1949年9月号) |
選考委員 石川達三 45歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
森田幸之 | 36歳 |
◎ | 13 | 「「断橋」は才気の切れ味を見せたもので、「文学」というものの考え方、主題を彫琢して作品を彫り上げる場合の計画と勘の鋭さを私は採る。」「将来立派に書いて行ける人だ。「北江」の方を見てもそれはわかる。」「多分何を書いてもまちがいの少い人だろうと思う。」「技術的に、あるいは作家的手腕としては(引用者注:辻亮一より)森田君の方がすぐれていると私は主張した。」 |
35歳 |
■ | 16 | 「(引用者注:授賞が)「異邦人」になるとは思わなかった。」「危険を感じる。「木枯国にて」というもう一つの作品は問題にならなかった。これで相当に減点された位で、人柄の良い作家らしいが、その人柄を頼りに書いてあるような所がある。」 | |
「(引用者注:田宮虎彦の)他の候補者のなかから、私は正直に言って一人の受賞者を決定しかねた。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第四巻』昭和57年/1982年5月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和25年/1950年10月号) |
選考委員 石川達三 47歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
31歳 |
○ | 7 | 「佐藤、坂口、石川は認めると云い、丹羽は全く問題にしない態度だった。」「「喪神」には光るものがあるのだ。ある選者はこの中の剣法などを、出鱈目だと云った。彼は光ったものを感じなかったのであろう。」 | |
澤野久雄 | 40歳 |
○ | 3 | 「全く認めなかったのは、佐藤、舟橋で、認めようとするのは丹羽、石川などであった。この差は選者自身の作風や好みから来るものだろうか。」 |
43歳 |
● | 5 | 「佐藤、川端は高く評価したが、私には面白いと思えない。丹羽氏も認めない態度であった。」「これは私小説の系統に属するもので、その系列を辿って来た選者には高く認められるのであろうかとも思った。」 | |
「八人の選者の意見ははじめから全くばらばらで、当選作無しとするのが順当のようであった。二つの当選作をきめたけれども、選者は必らずしも満足していない。」「芸術作品というものは美術、音楽などにしても、本質的に一定の物さしで量ることのできないものであり、各人の個性にしたがって鑑賞すべきものだ、とも言い得るであろう。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和28年/1953年3月号) |
選考委員 石川達三 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
曾野綾子 | 22歳 |
◎ | 21 | 「二つ(引用者注:「遠来の客たち」「その掟」)を支持したのは丹羽君と私だけであったのは意外だった。」「(遠来の客たち)の新しさについて、私と丹羽君だけが強く認めたのに、他の誰もが認めなかった。」「これこそは戦後のものであって、私には舟橋君にも宇野浩二さんにも書けない新しい性格の文学だと思う。」「私にとって、又は今日までの日本文学にとって、「異種」である。」「作者がまだ二十三歳ぐらいの若い人だから、今度は見送って、今後の成長を見ようという説もあったが、単に年が若いというだけのことがハンディキャップになる筈はない。」 |
川上宗薫 | 30歳 |
◎ | 8 | 「二つ(引用者注:「遠来の客たち」「その掟」)を支持したのは丹羽君と私だけであったのは意外だった。作家としての力倆から言えば(その掟)が第一だ。」「こういう感覚的な描写が案外委員に支持されていないということを知ったのは、私にとって一つの勉強になった。だが、この作者は必らず伸びる。」 |
30歳 |
● | 7 | 「委員会の翌日、もう一度(驟雨)を読んでみたが、私には満足できなかった。吉行君には気の毒だが、この当選作について世評は芳しくあるまいと想像する。」「しかし当選と定ったからには今後の吉行君の努力、殊に文学態度についての反省を望みたい。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和29年/1954年9月号) |
選考委員 石川達三 49歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
戸川雄次郎 | 29歳 |
◎ | 8 | 「私は(引用者中略)推したが、(引用者中略)多数の同意を得るには至らなかった。」「川上、戸川両君は正面からぶつかっている。私はこの方に好感をもった。」 |
川上宗薫 | 30歳 |
◎ | 9 | 「私は(引用者中略)推したが、(引用者中略)多数の同意を得るには至らなかった。」「この前の「その掟」の方がすぐれて居り、今年に入ってからも良いものを発表しているということで、保留された。」「川上、戸川両君は正面からぶつかっている。私はこの方に好感をもった。」 |
39歳 |
△ | 12 | 「小島、庄野、小沼の諸君もみな力量のある人たちだが、正面を外して側面から対象を描いている。」「小島、庄野両君に(引用者注:授賞が)きまったのも少し無理で、議論をつくした果てに自説を抛棄したというかたちだった。」「既に沢山の作品を出して居り、たとい当選作に疑義があっても、大した問題は起らないという安心感に支えられていた。しかしこの事にも疑問がある。作家を選ぶのか作品を選ぶのかで、見解は分れる。」 | |
33歳 |
△ | 12 | 「小島、庄野、小沼の諸君もみな力量のある人たちだが、正面を外して側面から対象を描いている。」「小島、庄野両君に(引用者注:授賞が)きまったのも少し無理で、議論をつくした果てに自説を抛棄したというかたちだった。」「既に沢山の作品を出して居り、たとい当選作に疑義があっても、大した問題は起らないという安心感に支えられていた。しかしこの事にも疑問がある。作家を選ぶのか作品を選ぶのかで、見解は分れる。」 | |
「他に新人文芸賞が多くあるので、芥川賞の在り方をどの位置にきめるべきか、いずれ近いうちに決定されなくてはならない。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和30年/1955年3月号) |
選考委員 石川達三 50歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
32歳 |
◎ | 18 | 「第一候補(引用者中略)という心づもりで、私は委員会に出て行った。」「全く未知の人だが私はこの作品を信用してもいいと思う。戦後のフランス文学などに類型がありはしないかという疑問も提出されたが、古臭い類型ならともかく、新しい類型ならば外国にその例があっても無くとも、委員会はあまり気にしなくともいいと私は思った。」「直木賞候補だという説もあったが、私はそうは思わない。」 | |
坂上弘 | 19歳 |
○ | 11 | 「第二候補(引用者中略)という心づもりで、私は委員会に出て行った。」「疑問の多い作品であるが、同時に独自なものがあり、新しいものもある。それだけに一致した推薦が得られなかったのも致し方ないことだと思う。」「今日は疑問に感じられたものが、立派に成長するか馬脚を現わすか、そういう心配と期待とがあるのだ。」 |
「某新聞が、芥川賞では食えないとか、当選の価値が下落したとか、嫌味な記事をのせていたが、言わでもの事を書きならべてどれ丈けの意味があるだろうか。実力ある人は授賞されなくても伸びて行くだろう。そんな事は当りまえだ。」「この新聞は、芥川賞作家三十五人のうち、活躍しているのは三分の一ぐらいだと言っているが、三分の一が堂々と活躍しているならば、文学賞制度としては立派な成果ではあるまいか。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第五巻』昭和57年/1982年6月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和30年/1955年9月号) |
選考委員 石川達三 56歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
大森光章 | 38歳 |
○ | 22 | 「私は最後まで、三篇(引用者注:「名門」「光りの飢え」「海岸公園」)のどれを当選作とするとも決心がつかなかった。全く違う主題と、全くちがった作風と、そして各々相当に書き切っている実力とを比較して、優劣をつけ得なかった。」 |
宇能鴻一郎 | 26歳 |
○ | 22 | 「私は最後まで、三篇(引用者注:「名門」「光りの飢え」「海岸公園」)のどれを当選作とするとも決心がつかなかった。全く違う主題と、全くちがった作風と、そして各々相当に書き切っている実力とを比較して、優劣をつけ得なかった。」 |
山川方夫 | 31歳 |
○ | 22 | 「私は最後まで、三篇(引用者注:「名門」「光りの飢え」「海岸公園」)のどれを当選作とするとも決心がつかなかった。全く違う主題と、全くちがった作風と、そして各々相当に書き切っている実力とを比較して、優劣をつけ得なかった。」 |
「芥川賞の銓衡に参加してから十三年目になるが、今度が一番むずかしいと思った。つまり自信をもって推せるものが見つからない事と、「名門」「光りの飢え」「海岸公園」をどう評価し、どう優劣をつけるかという事であった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和36年/1961年9月号) |
選考委員 石川達三 58歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
35歳 |
◎ | 22 | 「私は、第一候補(引用者中略)と確信して出席した。」「その新しさを軽薄さと評することは容易だが、軽薄さをここまで定着させてしまえば、既に軽薄ではないと私は思う。これは音楽で言えばジャズのような、無数の雑音によって構成された作品であり、そのアラベスクの面白さは「悲しみよ今日は」を思い出させる。」「しかしこの作者の危険は、こうした作風が間もなくマンネリズムに陥り易いということである。」 | |
森泰三 | (42歳) |
○ | 16 | 「私は、(引用者中略)第二候補(引用者中略)と確信して出席した。(引用者注:第一候補の「感傷旅行」と)両方が当選作になってもいいと思っていた。」「いかにも古めかしい。しかし誠実な文章と正確な表現力をもっている。作りものという評もあるかも知れないが、これは一つのロマンとして態を成している。」「素質のある人だと思う。但し、この古めかしさにいつまでも低迷していてはならない。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第六巻』昭和57年/1982年7月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和39年/1964年3月号) |
選考委員 石川達三 59歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
29歳 |
◎ | 15 | 「芥川賞は一応短篇小説と言うことになっているので、此の作品は長過ぎる。しかし他の候補作品にくらべて力倆は抜群であると思われるので、特に推すことにした。」「青春小説である。そして青春のロマンが歌われている。そこに稚なさもあり香気もある。読み終って心の中に一種の香気が残る。それが貴重だと私は思う。」 | |
立原正秋 | 38歳 |
○ | 7 | 「私は(引用者注:受賞作に次いで)第二に推した。尖鋭なきらめくような表現があちこちにあって、この作者の才能は充分に示されているが、二三の無理な構成があって作品を傷つけている。」「しかし主人公の女性をこれだけに描けるというのは凡手でない。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和39年/1964年9月号) |
選考委員 石川達三 60歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
立原正秋 | 39歳 |
◎ | 13 | 「私は最初から「十津川」と「剣ヶ崎」を推すつもりだった。当選二人でもいいと考えていた。」「いろいろな欠点があり、それははっきりして居るが、戦争にからむ人種問題という大きな主題を懸命になって追究した作者の努力を、私は文学の正道だと思う。」「当選作「玩具」とくらべて量感に於ても質感においても劣るとは思われない。」 |
清水幸義 | (40歳) |
◎ | 13 | 「私は最初から「十津川」と「剣ヶ崎」を推すつもりだった。当選二人でもいいと考えていた。」「文章は堅実で規格正しく、地味ではあるが信用できる。色気ぬき(原文傍点)で是だけの作品を書けるのは立派だ。当選作として大衆受けはしないが、この地道な努力は買うべきだと思った。」「この作品と当選作「玩具」とをくらべて、どちらに作品の幅、大きさ、匂い、文章の緊密さ、味わいの深さを感じるだろうか。」 |
37歳 |
■ | 14 | 「まとまりの良い作品であって、夫婦の生活を二人きりの場で丹念に描いている。その限りではよく書けた作品だが、それ以上のものがない。そして文学とは(それ以上)のものを要求するものだと私は思う。」「この作品には大きさも無いし高い精神も見られない。」「前作「さい果て」の方が良かったように思う。」 | |
「今回の銓衡結果には、私は不満だった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和40年/1965年9月号) |
選考委員 石川達三 61歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
山崎柳子 | 43歳 |
◎ | 28 | 「前回当選の「北の河」や前々回当選の「玩具」にくらべて劣るものではない。私は自信をもってこの作品を推した。この作者は既に文学(原文傍点)を自分のものにしている。」「この作品には芸術的な『美』がきちんと表現されている。」「ルミという混血の黒い肌の娘がもっている骨に沁みるような自己嫌悪の心を、慈善事業家のような表現ではなくて、作者自身のふかい心で表現している。」 |
選評出典:『芥川賞全集 第七巻』昭和57年/1982年8月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和41年/1966年9月号) |
選考委員 石川達三 64歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
黒井千次 | 37歳 |
◎ | 11 | 「私は(引用者中略)当選作と考えていた。創作態度は堅実であり、作品として姿勢は正しい。」「いわば将来に向って進む小説の正道を歩いた作品であろうと思うが、私以外の推薦者は五人ばかりしか得られなかったことを残念に思った。作中の或る男の幻影は少しとらわれ過ぎたところがあるようだ。」 |
41歳 |
△ | 3 | 「疑問の点がいくつか有って、私は積極的には推さなかった。実直な描写は買うが、その描写が抜け出たもう一つ新しいものがほしいと思った。」 | |
32歳 |
■ | 17 | 「種々の疑問があって、私は推薦に躊躇した。」「甚だ饒舌的で、あり余る才気を濫用したようなところがあり、また日常的な通俗さを無二無三に叩きこんで、ユーモア大衆小説のようでもある。」 | |
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和44年/1969年9月号) |
選考委員 石川達三 65歳 | ||||
候補 | 評価 | 行数 | 評言 | |
36歳 |
◎ | 13 | 「今回は(引用者注:「プレオー8の夜明け」「無明長夜」「証人のいない光景」の中から)当選作二篇と信じた。」「一読して、是は当選作と信じた。」「独自の表現を持ち独自の発想法を持っている。」「むしろ泉鏡花を思わせるような古い味わいも有る。作品は全体として写実であるよりは半抽象的であり、幻想的である。」「一篇だけを選ぶとしたら是を取ろうと私は思っていた。」 | |
49歳 |
○ | 12 | 「今回は(引用者注:「プレオー8の夜明け」「無明長夜」「証人のいない光景」の中から)当選作二篇と信じた。」「達者な筆つきで、なかなかの才気を感じさせる。悪ふざけが有ると指摘した人もあったが、平衡感覚のすぐれた作家で、適当に悪ふざけを切り上げるこつ(原文傍点)も心得ているらしい。」 | |
李恢成 | 35歳 |
○ | 6 | 「今回は(引用者注:「プレオー8の夜明け」「無明長夜」「証人のいない光景」の中から)当選作二篇と信じた。」「選に漏れたが、私はこの作品も相当に弁護した。しかしもう一つ迫力の足りないところがあって、大多数の賛成が得られなかった。」 |
「今回は全体的に言って作品の質がそろっていた。」「帰途三島君と同道したが、今回は銓衡のあと味が大変よかったと同君は言った。私も全く同感であった。」 | ||||
選評出典:『芥川賞全集 第八巻』昭和57年/1982年9月・文藝春秋刊 再録(初出:『文藝春秋』昭和45年/1970年9月号) |